冬の葬列
 寒い午後だった。中央広場に建つ教会から、数人ばかりのささやかな葬列が、町外れの墓地へとゆるやかに歩みを進めていた。昨晩降り積もった雪が、未だ溶けることなく街路を厚く覆っている。濃密な死のにおい振りまく黒衣の群れが過ぎる間、人々は粗末な帽子をきつく握りしめ、頭をたれ、あるいは空ろな祈りを唇にのせることでもって、控えめな弔意をば表した。家々の窓は固くしめられた。母親はあかぎれの手のひらで、子どもらの口を塞いだ。澄んだ青に薄墨をひいたような空は沈黙し、さくさくと雪を踏みしめる足音だけが、凍てついた空気を割って響いていた。
 道の端、人目を避けるかのように、葬列へと視線を投げかける者があった。乾いた眼差しの主は、ちょうど青年と少年との境目の年頃で、身に纏った喪服は質素ながら、一見してそれとわかる上質の糸から織られていた。彼は品のある面に涙の玉ひとつ、感傷ひとつ浮かべず、地に蛇の這うようにうごめく連なりを、じっと眺めていた。
 簡素な木製の棺に横たわっているのは、彼の城で働く召使の息子だった。今は肉の塊のひとつに過ぎないが、以前は確かにそう呼ばれていた。
 この国では、身分の低い者の葬儀に、青き血族の子弟が列席することは許されなかった。だから少年は、かつて己の所有物であったそれが、壊れ、手を離れ、墓穴の闇へと飲みこまれようとする様を、小さな遠眼鏡で覗くように、一傍観者として観察していた。群れの後尾、影を引きずって歩く死者の父と母の面は、まるで彼らのほうが屍であるかのように青く、血の気がなかった。魂までも疲れきっているようだった。老いた夫婦にとって、若いひとり息子を突然失った悲しみと衝撃とは、あまりに大きく深かったに違いない。ふたりの目の下に刻まれた濃い隈が、あらゆる感情のうねりを無言のうちに明らかにする。しかしいかに嘆きの声を上げようと、彼らは死人に似て死人ではなく、それがまた折れた心を責め苛むのであろう。
 故人は病に倒れたが、生前、彼の病について知る者はなかった。兆候はあったはずだ。が、それを決して人に悟らせなかった。そういう性質の人間であった。突然の死の報せを聞いたとき、古城で働く人々は、明るく温和で、何事にも真面目に取り組むことをよしとした、ひとりの実直な若者の死を思い、悲嘆に暮れた。そして同時に誰もが、孤独な病の苦しみを察知できなかった己の浅はかさを悔いた。ただひとりだけが、死者に対して冷淡な眼差しを向けていた。
「どうして、あなたは」
 若い女中のひとりが、濡れた袖の向こうから、恨めしげな声を絞りだした。
「あんなにやさしい、あなたのことを思っていた人はいないでしょうよ、以前も、これからも。あなたのお心に比べたら、雪や氷のほうがずっと温かいわ。春が来れば解けるんですもの」
 きつく香の焚きつめられた、息ひとつすれば肺の奥まで凍りつくような石の室、許しを乞うように寝台に身を投げ出した娘は、若い主人を鋭くにらみつけた。ありふれた舞台の一場面のような陳腐さだった。
「坊ちゃん!」
 少年は、背中に叩きつけられた叫びを無視して、小部屋を後にした。
「あの」
 ふいに声をかけられ、若い貴族はそれまでの思考を遮断し、厳しい視線だけを声の主へと送った。彼の側には、老いた背の低い修道女がぽつねんと、雪景色に黒い姿を浮き上がらせていた。その顔に覚えはなかった。
「何か」
「あの、失礼ですが、領主様のご子息でいらっしゃいますか」
 彼は短い肯定の返事とともに頷いた。
「よかった」
 修道女はふっくらと豊かな頬を紅潮させ、安堵の息を白くもらした。
「あの方を、ご存知ですね」
 言いながら、葬列を見やった。ふたりの立つ場所に迫るにつれ、幻のように雪に霞んでいたその陰影は、現実としての明瞭な輪郭を描きはじめる。
「ほんとうに、お優しい方でしたわ。お若いのに、わたくしのような年寄りにも、丁寧に、親切にしてくださいましてね。あなたもことも」
「わたしのことを?」
 ひそめられる眉に、修道女は憂いをこめた瞳を細めてこたえた。
「そのときのお顔、見せて差し上げたかったわ」
「……あなたは」
 低く問いかける声はどこか遠く、残雪を散らす風と同じほど、静かなものだった。
「あれの病のことを知っておられたのですか」
「いいえ」
 髪をすっぽりと覆った薄いベールが、左右に小さく揺れた。老女は袖で目をぬぐった。
「亡くなったと聞いたとき、あんまり驚いて、息が止まるかと思いました」
「愚かな男でした」
 白い息に混じって、三文芝居のような台詞が淡々と流れた。
「耐えることしか能がなかった」
 乾いた唇がかすかに動くあいだ、瞳だけがほの暗く燃えていた。その奥に潜むのは悲嘆と呼ぶよりはむしろ、主の命なしに絶えた下僕への激しい怒りであった。
「そんなものは、くだらぬ自己満足に過ぎないというのに」
「そうでしょうか」
 修道女は軽く首をかしげてから、にわかに何かを思い出したのか、あ、と小さな声を上げた。
「そうだ、忘れるところでした。あなたにお渡しするものがあったのです」
 僧服の隠しより、丁寧に封のされた手紙が取りだされた。
「最後にあの方がいらしたときに、頼まれたのです。あなたにお渡しするようにと。そのときは、どうしてか不思議でしたが」
 敬虔な修道女らしい、幼子のような、きらきらと輝く澄んだ瞳が、せつな、頑なな心を無防備にさせた。
「これをご覧になれば、迷いに対する答えが見つかるかも知れませんね」
「迷いなど」
「おやめなさい、おやめなさい。今あなたに必要なのは、弁明などではございませんでしょうに」
 反論しようと口を開きかけた若い貴族を制するように、手紙を喪服の胸に押し当てながら、老婆は穏やかにほほえんだ。
「あなたの行く道に幸多からんことを」
 領主の息子は雪道を行く修道女の後姿と、見慣れた几帳面な文字で宛名に書かれた自分の名を交互に見、躊躇うように、何度も何度も紙のざらつく手触りを確かめていた。やがて唇を結び、にわかに顔をあげると、はめていた上等の手袋を無造作に投げ捨て、封筒の端に指をかけた。

 永遠ともつかぬ長い時を、沈黙が支配した。手紙を持つ指を固く握り締め、影が力なく背後に立つ赤松にもたれかかった。俯き、寒さですでに感覚のない手のひらを目にあてる。葬列が雪をわける音が段々と近づいてくると、棺を肩に担いでいる人夫たちの額に滲む汗が、指の間に見えた。
 あたりは静かだった。北風は去り、もはや梢が雪にきしむ気配すら遠く消えた。ただ、応える者のない老母の呼びかけだけが、虚ろに繰り返されていた。彼はそのまま崩れ落ちるように、雪上に身を委ねた。それから、激しく嗚咽した。
 誰かが肩にそっと手を置く、温かい感触があった。
 少年は絞り出すように何かを叫んだ。
 だが、声なき声は囁きにすらならなかった。
 次の瞬間には肌の熱は消え、肩がふっと軽くなった。後には冷え冷えとした冬の風だけが残った。
 そのとき、晩鐘がひび割れた高い声を、あたりに響きわたらせた。鐘の音に重なるように、間もなく、夜の帳が落ちる。