ぼくはロボット
「ぼくねえ、実はロボットなんだ」
 昼休み、無我夢中に弁当をかきこんでいると、隣りに座る友人が言った。
「……ふあ?」
 白い飯をほおばりながら、つい間抜けな声を出してしまったのも無理はない。いきなりそんな告白をされたって。残念ながら、ここはSF小説の一場面ではないのだ。しがない公立中学校の、何の変哲もない屋上だ。屋上に人気はない。本来は生徒がここに来るのは禁止されているためだ。それを、無理やり扉をこじ開けて入っている。それから、いつもの給食ではなく弁当。昨日、給食室にぼやがあったためだ。その二つの点だけ、非日常といえば、そうかもしれない。だが、こいつの一言は、快い非日常の域を越えている。とっぴ過ぎてついていけなかった。時代劇を見ていたら、突然、水戸黄門の前に、銀色の未来スーツを着た宇宙人が現れるほどのとっぴさだ。
 しかし、昨日観たテレビの話でもするように、自称ロボットはつづけた。
「でも、もうすぐ廃棄されるんだ。だから、お別れを言っておこうと思って」
 たしかに、以前から妄想過多なやつだった。でもここまでだったなんて、と驚いて、返答に窮していた。口だけがもぐもぐと動いている。
 相手は返答がないのを気にしないような素振りで、勢いよくメロンパンの袋を開いた。澄みわたった青い空に、ビニールの破れる乾いた音が、高く弾けて消えていった。
「あ、誰にも言うなよ。正体ばらしていいの、ひとりだけなんだってさ」
 少し考えてから、今まさにメロンパンにかぶりつこうとしている頬を、思い切り横にひっぱった。
「このへにゃへにゃしたからだの、ど、こ、が、ロボットなんだよ!」
 やわらかい頬はよく伸びた。
「ふあにふるんらよ!」
「ロボットってのはなあ、ふつう硬いんだぜ、からだが金属でできてるから。それに目からビームが出るし、手はもちろんロケットアームだ。それにメロンパンなんかくわねえよ!」
 メロンパンを死守しながら、やつは反論した。
「食べちゃ悪いかよ!」
「悪いにきまってるだろ! オイルだよ、オイル。ロボットはオイルで燃料補給って相場が決まってんだよ」
「オイルなんて飲めないよ」
「じゃあ、お前、やっぱりロボットじゃないんだよ。はい、この話題はおしまい」
「ちがう、人間じゃない」
 あっさり言い切った。
「だって、気付いてるんだろ? この二年、少しも背が伸びてないってこと」
 たしかに、こいつは他の生徒よりも頭ひとつ分小さい。でも、と問わずにはいられなかった。
「ただの個人差じゃないの?」
「身長だけじゃないよ。走る速さは、全国の男子中学生の平均的タイムをもとに作られたものだし、勉強だってそうだ。言語、思考、行動、なんでもそう。全部データで決められれている。全然成長してないんだ」
 そう言われても、ふうんとしか答えようがない。ためしに、腕をもんでみる。あたたかい。人間の皮膚の感触だ。
「な、何するんだよ!」
「……やっぱり、ロボットには見えないんですけど」
 言いながら、ペットボトルのお茶を口に含む。今日は春にしては暑い。何だかひどく喉が渇く。
「しょうがないじゃん、本当なんだからさ」
 ため息をついて、ロボットはメロンパンにかじりついた。
「ほふさ、ならんらこほらいんらよね」
「食うかしゃべるか、どっちかにしろよ」
 名残惜しそうに、メロンパンが唇から離れた。
「ぼくさ、悩んだことないんだよね」
 目が点になった。何を言っているんだこいつは。春の陽気で、頭のねじがふっ飛んだのだろうか。
「あっそう。そりゃうらやましいな。いいじゃん、お気楽な人生で」
 向けられたことばに含む刺をさらりとかわして、独り言のように、続けた。
「迷っているように見えても、違うんだよ。ぼくは真っ白い花ばっかり咲いている花畑から、一輪の赤い花を探してるんだ。人間みたいに、色とりどりの花のなかから、どれを選ぶか考えてるわけじゃない」
 花。花畑。中学生男子の口から出るべき単語ではない。だから、返すべき反応も出てこない。
「はあ」
 ふたたび箸を手に取る。残ったおかずを手際よく詰めこんでしまわないと、昼休みが終わってしまう。授業が始まれば、こいつの頭も現実に戻るだろう。すべては、春のせいだ。
「きみはいいなあ、迷ってばっかりで」
 聞き捨てならない台詞だ。眉がぴくりと動いた。
「あ? そりゃ、おれは大した人間じゃないから、迷ってばっかりの毎日ですが」
 耳元で、ぽつりと呟く声がした。
「人間は求めるかぎり、迷うものだ」
「何それ?」
「データに入ってた。何かの文学作品の台詞だと思う」
「文学作品ねえ」
 言いながら、なるほどと思った。何か変な小説を読んだ。そしてそれに感化された。そうに違いない。自分のなかで納得のいく結果が出た。さあ、飯の続きにしよう。
「キスしてみない?」
 時が止まった。青い空が目の端に入った。鳥が飛んでいる。気持ちが良さそうだ。それから、勢いよく白米を吹きだした。
「ななな」
「汚いなあ、吹きだすなよ」
「お前が変なこと言うからだ!」
 目の前の顔が、にっこりとほほえんだ。
「ほら、また迷ってる」
「迷ってない! そんなことしない! 以上!」
「考えてもみなよ。身体の器官を二つ、くっつけるだけの行為だよ」
「確かにそれもそうだ……って、いやいや、だめだだめだ! だめに決まってるだろ!」
「興味ないの? ぼくはあるよ」
「あってたまるか!」
「ほんとうに?」
 ずいと身を寄せてきた。箸を持つ手を強張らせながら、思わず目を逸らす。
「な、ない……」
「別に減るものじゃないだろ。もしかして、一度も経験ないとか?」
 図星を指されて、ことばに詰まった。そして、理解した。こいつは誘っているんじゃない、挑戦しているのだ。受けて立たねば男ではない。ただ口と口を合体させるだけだ、それだけだ。なぜそう思い至ったのか、自分でもわからなかった。やはり、おかしな春の陽気のせいだろうか。
「ああもう、わかったよ! 一回だぞ一回、それも一瞬」
 叩きつけるように箸を置き、相手をにらみつけた。こうなればやけだ。さっさと終わらせてしまおう。そうして、ロボットだの男同士でキスだの、この不愉快な非日常に終止符を打つのだ。
「いくぞ、いちにの」
「待った!」
 つけた勢いは、激しい拒絶に力を失った。
「お前が言ったんだぜ!」
 ささやかな異議は、冷静な意見に打ち消された。
「さっき、きみ肉食べてただろ。はい」
 渡されたペットボトルを忌々しげに見下すと、烏龍茶を口に含み、うがいをして飲み下した。
 そうして改めて、向き合う。
「……じゃあ、いくぞ」
「うん」
 次の瞬間、眼前に火花が散った。ふたり同時に鼻をおさえて、後ずさった。
「ばか、ふたりとも正面からいったら、鼻がぶつかるに決まってるだろ!」
「キスの仕方なんてデータにないんだよ!」
 ひとしきり鼻をなでてから、提案した。
「こうしよう。お前は動くな、おれがする。片方が止まってればうまくいくだろ」
「……ドラマみたいだね」
「言うなよ」
 急に照れくさくなって、視線を泳がせた。それを見て、やつは苦笑した。
「わかった、わかった。じゃあ、お願いします」
「い、いくぞ。ほんのちょっとだからな。触るくらいだからな」
「あ」
 今まさに唇が触れ合いそうなとき、件のロボットは声を上げた。
「そうだ、忘れてた。ひとつだけ、頼みがあるんだ」
 からだが思わず飛び上がった。
「お、お前さ、いきなり声出すのって、ルール違反だと、思うぜ、なあ」
 心臓の音を落ち着かせながら、やっとのことで口にした。弁当がひっくり返らなくて良かった。
「ごめん、次は気をつけるよ。そうそう、あのさ、ぼくがいなくなったら、しばらく家に来ないで欲しいんだ」
「何で?」
「何でも」
 そう言って笑うと、子犬がするように全身を預けてきた。メロンパンの甘いにおいが、あたりにふわりと舞った。
「ぼくの世界は、白と黒しかなかったけど、きみといるときは違った」
 抱きかかえた頭の向こうに、白い雲がゆっくりと流れていくのが見えた。風が凪いだ。時間の流れが、急にゆるやかになった。ひどく静かだ。その瞬間、こいつの語るおとぎ話が、突然、現実味を帯びてきた。手のひらにじっとりと汗が浮かんだ。どうして、何ひとつ変わっていないのだ、二年前と。腕のなかの細いからだも、高い声も、そのまなざしも。心は違うと叫んでいたが、触れたからだが否定する。
「ありがとう」
 腕のなかの顔がこちらを仰いだ。自称ロボットは、静かに微笑んだ。そして眠るように目を閉じた。ふいに、声を上げて泣きたくなった。頼むから目を開けないでくれ。その瞳が、ガラス玉で作られているのを見つけてしまったら、どうしたらいい。
 祈りながら、ぎこちなく唇を重ねた。遠くに校庭のざわめきが聞こえた。まぶたの奥が白んだ。肩を抱く手に力がこもった。深く絡ませた甘い息を、むさぼった。
 求めるかぎり迷うなら、それもいいと思った。

 それからしばらくして、担任の口からやつが引っ越したことを知らされた。何だ、とすっかり拍子抜けした。ただの転校じゃないか。
「引越し先ぐらい、教えてくれたっていいんじゃないの」
 だから、約束を忘れて、あいつの家に行った。たくさんの人がいた。引越しの真っ最中だった。引越し業者が手際よく荷をトラックに積んでいた。でも、あいつの姿はなかった。家族と面識もなかったし、見慣れた姿を探して、遠くから、物と人が行きつ戻りつしているのをぼんやりと眺めていた。すると、若い男が、大きな、白い箱を荷車にのせてやってきた。違和感が全身を突き抜けた。あれ、と思った。あれは、まずい。直感が告げた。見るな、あれを見ちゃいけない。
 男がふたりがかりで、白い箱をトラックに積み入れた。
 めまいがした。背筋に冷たいものが走った。足の震えがおさまらない。あそこに入っているのは、ただの物だ。物なのだ。
 踵を返して、走りはじめた。涙が止まらなかった。自分はロボットにはなれない、記憶を白紙に戻すことはできない。だから、灰色の記憶と痛みを抱えて、迷いながら走ることしかできない。