8月31日
中編
「どうしたの?」
 アスファルトからの凶悪な照り返しで、血液まで沸騰しそうな猛暑日だった。半ばまで登りかけていたアパートの外階段を、古賀は勢いよく駆け上がった。アパートのドアの前で膝を抱えていた晃は、尻に付いた砂を払いながら立ち上がった。
「何か困ったことがあった?」
「ううん、別にないよ」
「お母さんは?」
「仕事。……先生って、いつも同じような質問しかしないよね」
 晃はうんざりしたように言った。
「とりあえず、中に入って」
 少し話をしているだけでも、照りつけてくる西日で肌が痛いくらいだった。古賀は鍵を開けて晃を招き入れた。部屋にはクーラーがないが、北側にある窓を開ければ外にいるよりはましだろう。
 前回の失敗をふまえ、晃を玄関先で待たせている間に、部屋をざっと片づけておいた。だが、室内を一瞥した教え子の評価は厳しかった。
「やっぱり掃除してないじゃん」
 一ヶ月前に来てくれればきれいにしていたのに、とは情けなくて言えず、古賀は黙ってコップを差し出した。
 ガラスのコップに注いだペットボトルの冷茶を、晃は一気に飲み干した。
 ふうっと一息ついて、折り畳み式のテーブルにぺたりと頬を押しつけた。
「冷たくて気持ちいい」
「暑かっただろう?」
「うん。夏だもん」
 横に傾けてきた目線で、どうしてそんなわかりきったことを聞くのかと無言で問いかけてくる。
「先生ってさ、夏休みも仕事?」
「そうだよ」
 生徒が休みだからと言って、教員も同じように休暇を取っているわけではない。今週は自宅から二時間程度かかる場所で研修があって、平日はずっと帰りが遅かった。
 ふとある懸念が頭に浮かんだ。
「もしかして、毎日来てくれてたの?」
「またおいでって言ったから」
 継ぎ足したお茶に手を伸ばしながら、晃はさも当然というように言った。
「それに、俺ちゃんと約束守ったよ。先生の家に行ったこと、秘密にしてた。先生と仲良くしてたらばれると思って、学校でも無視してたんだ」
「そうか……」
 律儀に約束を守ってくれていたと知って、そのいじらしさに胸が熱くなった。
 またおいでと言ったのは、何の気なしに口にした社交辞令、秘密にしてくれと頼んだのは、単に面倒を起こしたくなかったからだ。
 それなのに自分ときたら、晃に嫌われたと勘違いしていた。晃の純粋さに軽薄な打算を暴かれたようで、恥ずかしくなった。
「すまなかったね、待ってくれてたのに」
「別に、暇だしいいよ」
 一呼吸おいた後、居住まいを正して古賀は尋ねた。
「今日は、お母さんの仕事いつ終わるの?」
「夜」
「ずっと遅いの?」
「最近は遅くなること、あんまりないよ」
 そうか、と呟きながらコップの縁に唇をあてる。
 この間家に泊めたのは、子供の身の安全を守るためにとった、極めて例外的な対応だった。緊急性のない今このとき、晃を家に上げる理由はない。だが、この酷暑のなか自分を待っていてくれた子供に対して、家に帰れ、もうここには来るんじゃないと、突き放すことはできなかった。
「先生、何で急に黙るんだよ」
 それまで質問責めだったのにいきなり塞ぎ込んでしまった古賀を、晃は大きな目でじっと見つめてきた。
「もしかして、遊びに来ちゃいけなかった? 迷惑?」
 晃の眼差しに不安と寂しさが横切るのを見た気がして、古賀は腹をくくった。これは先日の件のアフターフォローの一環だ。荒木に文句を言われたら、そう答えればいい。
「あ、いやね、お腹が空いちゃって」
「俺もまだ昼ご飯食べてない」
「じゃあ、一緒に食べようか」
「お金ないんじゃないの?」
 二ヶ月近く前に言った台詞をよく覚えているものだと息をまきつつ、古賀は安心させるように微笑んだ。
「君一人くらいなら大丈夫だよ」
 しかし昼食に誘ったはいいが、冷蔵庫の中身は相変わらず貧弱だった。コンビニに何か買いに出ようかと思って腰を浮かせたところで、実家から送られてきたものの、持て余していた大量のそうめんがあることを思いした。
 汗だくになって鍋で湯をわかしていると、晃が横から覗き込んできた。
「座っていていいのに」
「手伝うよ」
 そう申し出てくれたが、特に手伝って貰うこともなかった。むしろ座って待っていてくれたほうが有り難かった。そうめんの茹で時間がよくわらからなかったので、こっそりネットで調べようと思ったのだ。
「……火の側は熱いだろ?」
「熱くない」
 さり気ない誘導も失敗に終わった。だが、普段偉そうに指導している立場上、そうめんの茹で方すら知らないという事実を生徒の前で晒すのは気が引けた。結局、見よう見まねで茹でたそうめんは、完全に伸びきっていた。
 大きめの皿に盛りはしたものの、一人暮らしが長いので余分な食器がない。いつも使っている椀は晃に渡して、いつもコーヒーを飲んでいる大きめのマグカップを取り出した。
 マグカップにめんつゆを注いでいる古賀を見て、晃は目を丸くした。
「先生、カップでそうめん食べるの?」
「ほら、インスタントラーメンだってカップで食べたりするだろ?」
 そうだね、と晃は頷いた。その素直さが却って良心を抉る。
 ぬるくて歯ごたえのないそうめんを、晃は文句も言わずすすった。
「家でもそうめん食べるの?」
「うん。細く切った卵焼きとか、きゅうりとか一緒に出てくる」
「豪華だね」
「そう?」
「お母さん、料理上手なんだろうな」
「上手がどうかなんてわかんない。あんまり外で食べたことないし。給食よりはうまいかな」
「……薬味がなくてごめんね」
「平気。おいしいよ」
 どこか慰めるような響きに、居たたまれなくなる。明日は午前中のうちに掃除を済ませて、洗濯をして布団も干して、最低限の食材も買い、できれば夏休み中に食器類も購入しておこうと決心した。
 そうめんを食べ終わってから少し話をして、夕方になる前に晃は帰って行った。
 翌日の日曜も、その次の土曜も晃は古賀のアパートにやってきた。
 晃の話によると、夏休みの間、母親は積極的に土日に仕事を入れているようだった。何か特別な手当が付くのかもしれない。経済状況は他の家庭と比べてもかなり厳しいようだった。
 晃はたいてい昼過ぎにやってきた。特別何をするというわけでもなく、本を読んだり、麦茶を飲んだり、ごろごろと寝ころんでたわいのない話をして、二時間ほどで帰ってしまう。
 離れて座っていたはずなのに、ふと気づいたときにはすぐ側にいる。むかし実家で飼っていた猫みたいだと思った。
 特に予定はなかったし、晃は静かな子供だったので煩いとも迷惑とも感じなかったが、自分といて何が楽しいのだろうというのは疑問だった。
 テレビは去年の暮れに壊れてしまって、電源を入れても何も映らない。元々あまり使っていなかったため、修理に出しそこねて現在に至っている。ゲーム機もなければ、男の子が楽しめそうな漫画も玩具もない。学校から離れてしまえば、共通の話題もない。
 偉そうに小学校の教師なんてしているくせに、ひとたび教室を出れば、子供が楽しめるようなものを何一つ持っていないのだと苦笑せずにはいられなかった。
 七月最後の日曜は朝から晴天で、いつにも増してうだるような暑さだった。うちわで仰ぎながら研修の資料を読んでいる古賀の傍らで、晃も同じように書棚から適当に選んだ本を読みふけっていた。
 本に視線を止めたまま、晃はごろりと横になった。
「こら、寝ころんで本を読んじゃだめだ。目が悪くなるよ」
 返事もよこさず晃は上半身を起こし、今度は壁に寄りかかった。すごい集中力だ。すぐ横に古賀がいることなんて、まるで気にしていない。逆にこちらは晃の一挙一動が気になって、ページは進んでいるが内容は全く頭に入ってこなかった。熱中症にならないか心配で、自分をうちわで仰ぐよりも、晃を仰いでやる時間の方が長かった。
 晃が読んでいるのは小説だった。脳の病気に侵されて寝たきりになった主人公が、新薬の力によって一時回復したものの、過剰な効果によって逆に苦しめられ、結局は服薬を中止し、元の状態に戻ってしまうという話だった。
「面白い?」
「まあまあ。先生、病気で性格が変わっちゃうことってあるの?」
「あるよ」
「薬で治ることも?」
「あるだろうね」
「そうなんだ」
「この話の主人公さ、薬が効いてなんでもできるようになったのに、また寝たきりになったちゃったんだね。先生だったら、どっちがいい? はじめから薬を飲まないのと、一瞬だけ薬でよくなるのと」
 古賀は息をのんだ。専門用語が多くて大人にも難しい本なのに、内容を正しく理解していなければできない質問だった。
「僕だったら」
 ちょっと考えてから答えた。
「副作用が出るとしても、薬を試してみると思うな。何もしないでいるよりも後悔しないと思うし。本多くんならどうする?」
「この主人公がもし羽を怪我した鳥だったら、治ってせっかく飛べるようになったのに、また羽を折られて落ちちゃう感じだよね?」
 静かに言う晃の横顔に、子供とは思えないような憂いが落ちた。
「俺はやだな。それなら、薬なんか飲みたくない」
 晃はそれ以上何も言わず、再び意識を本に沈めた。
 そのとき突然、夏休み前に荒木と話をしたことを思い出した。特に塾にも通っていない様子なのに、晃は飛び抜けて成績がいいのだと言っていた。
「元々の頭の出来が違うんだろうな。親に金があったら、いい塾にもいい学校にも行けただろうに。長く教師をやってりゃ珍しいことでもないが、せっかくの才能が埋もれていくのを見るのは、惜しい気がするよ」
 荒木は続けた。
「もっとも俺たちの立場じゃ、手助けといっても出来ることは限られてる。仕方ないよなあ」
 コーヒーを啜りながら、そうぽつりと言っていたのが印象に残っていた。
 賑やかな昼休みの職員室、耳に沈む荒木の疲れた声、湿度が高くて息苦しいアパートの空気、時折晃が身じろぎする微かな気配。
 雑多に押し寄せてくる感覚に意識を奪われ、活字は視界の上を無意味に滑り落ちていく。古賀は読む振りをするのを諦めて、おもむろに本を閉じた。
「お母さんは、君が僕のところにいることを知っているの?」
「知らないよ。秘密だから」
「平日は何してるの?」
「図書館にいる。涼しいんだ」
「友達と?」
「ううん、ひとりで」
 晃は首を振った。
「みんな、スイミングとか、塾とか、旅行で忙しいんだってさ。それに俺、自転車がないから誘われても遠くに行けない。二人乗りしてたら、警察官に怒られたし」
「そうだね、二人乗りは危ないからだめだ」
「ほらね。先生もだめだって言う。そしたら、やっぱり一緒に行けないじゃん」
 晃は拗ねて、本ごとそっぽを向いた。
 友達と思い出を共有できないのは辛いことだ。それがわかっているから、内心ではこう言いたくてたまらなかった。
 たまには二人乗りをしたっていいじゃないか。
 古賀も子供の頃は友達とよく自転車の二人乗りをして遊んでいた。高校のときは自転車通学をしていたから、当時付き合っていた彼女を乗せて、放課後、色々な場所に行ったものだった。どれも甘酸っぱくて楽しい記憶だ。
 だが教師である今の立場では、二人乗りをして友達と遊びに行けばいいなんて絶対に言えなかった。
 ふいに、晃が強ばった表情をして立ち上がった。それから古賀の目の前で、背を向けてしゃがみこんだ。丸めた身体が古賀の脚の間にすっぽりと収まった。
 子供の体温は、大人のそれよりも高い。正直暑かったが、身体だけでなく、存在そのものをすべて委ねてくれているような錯覚をおぼえ、じっとりとした汗の感触にも、ぎこちない体勢からくる不自由さにも、不思議な快さを感じた。
「お母さんは、俺が嫌いなんだ」
 晃はぽつりと言った。
「自転車もゲームも買ってくれない。夏休みなのに、遊園地にも旅行にも連れて行ってくれない。いつも仕事ばっかり」
「……お母さんは、君のことが大好きだと思うよ」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ」
「先生は他人でしょ? 何でそんなこと言い切れるの?」
 他人、という一語が胸に刺さる。事実であることは間違いないなのだが。
「お母さんと君を見ていればわかるよ」
 ゆっくりと吐き出した台詞は、晃を諭すとというよりも、自らに言い聞かせるような響きを帯びていた。
 この間来たときに、晃は携帯で撮った家族写真を見せてくれた。親子の何気ない日常の一場面を映した写真はどれも、古賀が思い描く幸福そのものが形をとっているようだった。
 もちろん、世の中には幸せそうに見えて、不幸を抱えた家族がたくさんいるのも知っている。だが母親が息子を見るあの優しい眼差しに少しも愛がないとしたら、いったい何を信じたらいいのだろうか?
 けれど晃は、旅行に連れて行ってくれたり、自転車を買ってくれたり、わかりやすい物差しを使うことでしか愛情を計ることができない。そうはいっても、こればかりは教室で教えられる類の知識ではなかった。古賀自身も親の有り難みを実感したのは、大学を卒業して社会に出た後だ。
 晃もいつか大人になり、母親の愛情を知る日がきっと来る。
 いつか。喉の奥で転がしたその一語が、ずしりと重くのしかかった。
 いつか、では遅い。愛が欲しいと叫んでいる子供が腕のなかにいるのは、今このときだ。
 幼い子供は愛情や幸福という概念を理解できないと、むかし本で読んだ記憶がある。
 だが、愛も幸せも未知の存在でしかない幼い心でも、痛みや悲しみは感じることができてしまう。皮肉な話だ。
 古賀はそっと目を伏せて、晃の頭に軽く顎を乗せた。
 叔父でも年の離れた従兄弟でもいい。この子の親戚であればよかったのにと思った。
 旅行や遊園地ぐらいいくらでも連れて行ってやるし、自転車も買ってやる。
 本人が望むなら塾に通わせて、たとえ生活を切り詰めても学費を捻出しよう。
 彼の才能を伸ばし、最高の教育を与え、この手で育て上げることができたら、どんなに……。
「先生?」
 思い描いた夢想は、晃の呼びかけで一瞬にして消え去った。
「あ、ごめん。ちょっとぼんやりしてた」
 甘い空想がもたらしたものは、苦い現実だけだった。
 自分は教師だ。
 何一つ買ってやることはできないし、二人乗りはだめだと馬鹿みたいに繰り返すだけだ。
「俺と話してもつまんないんでしょ」
「そんなことないよ」
「いいよ、別に」
 晃は不機嫌そうな顔をして、ふっと古賀の側から離れていった。無関心といってもいい態度だった。
 細い身体を抱きしめかけた手は、行き場も力も失って、むなしく床に落ちた。

 部屋にはエアコンがないので、在宅しているときにはいつも窓を開け放している。月が変わった頃から、遠くに聞こえていた蝉の声がぐっと近くなった。
 そして八月に入って以来、晃は忽然と姿を見せなくなった。
 母親の仕事が休みなのだろうと自分に言い聞かせつつも、一方で、最後に会ったときに晃が見せた無関心さを思い出すと、心臓を握りつぶされたように苦しくなった。
 病気でもしているんじゃないか、事故にあったんじゃないか。
 堆積していく不安に耐えきれなくなっていっそ自宅に電話をかけてみようかと思い始めていた矢先、晃は何の前触れもなくひょっこりと現れた。
「古賀先生!」
 ドアが開くなり、晃は子犬が転がるように飛び込んできた。
 元気な様子を見てほっとすると同時に、もやもやとした気持ちが広がった。古賀がどれほど心配したかなど、晃は考えもつかないようだった。
「久しぶりだね」
 平静を装いつつも、つい険のある声になってしまう。
「寂しかった?」
「え?」
「俺、先生に会えなくてちょっと寂しかったよ」
 しかし胸を塞いでいた暗い感情は、屈託なく弾けた笑顔を見たとたん、すっかり拭い去られてしまった。
「そうか……。ありがとう」
「俺、お礼言われるようなことした?」
「僕に会いたいって言ってくれる人は、あんまりいないからね」
「へえ」
 晃は関心がなさそうに生返事をして、すっかり定位置になった窓際に腰を下ろした。
「土日はお母さんがお休みだったの?」
「ううん、仕事。でも、おじさんがいた」
 古賀の眉尻が微かに上がった。
「……おじさん?」
「お母さんの彼氏。この間から一緒に住んでる。九月になったら結婚するって。だから、お母さん夜勤もできるようになったんだ」
 次の瞬間、母親の恋人や継父による虐待事件がいくつも頭をよぎった。つい、頭から爪先まで探るように凝視してしまう。怪我はないようだし、顔色も悪くない。
「先生、変な顔してる」
 晃に言われて、ぎょっとした。
「いや、別に……」
「羨ましい? 先生も結婚したいの?」
「僕はまだいいよ」
「嘘だ、やっぱり羨ましいんでしょ。だから変な顔してたんだ」
 晃は悪びれもせずけらけらと笑った。
 仕事とはいえ、彼に家族ができそうだと喜ぶ前に、最悪の事態ばかり考えてしまう自分がつくづく嫌になった。
 この間の土曜は、おじさんが遊園地に連れて行ってくれたそうだ。
「すっごい混んでた。遊園地なんてそんな楽しくないよね。子供っぽいし」
 澄まして言うが、言葉の端々から嬉しさが滲んでいた。晃は古賀に話したくてたまらなかったようで、アトラクションの内容からレストランで食べたメニューまで、次から次へと土産話を取り出した。
「よかったね」
 相槌を打つ声音は、自分でも驚くほど冷ややかだった。しまったと思って晃の反応を見たが、幸いにも、古賀の異変に気づいていないようだった。
 翌週やってきたとき、晃は新しいゲーム機を持っていた。
「おじさんに買ってもらったんだ」
 先生も一緒にやろうと言ってくれたが、断った。なるべく丁寧な言葉を選んで拒絶したことが、何だか逆に自分を貶めているようだった。
 なぜ見ず知らずの人間の行動に対して、こんなにも動揺し、憤りすら感じているのだろうか。
 冷静さを取り戻すために、積極的に「おじさん」の話を振った。彼の人となりを知れば、この不可解な苛立ちも収まると考えたのだ。
「おじさんはどんな人?」
「普通の男の人。先生より年上だと思う」
「優しい?」
「うん。お母さんにも俺にも優しいよ」
「何の仕事をしてるの?」
「会社で働いてる。何の会社かは、よくわかんない」
「土日は仕事なの?」
「休み」
「じゃあ、僕のところに来るよりも、おじさんと一緒にいたほうがいいんじゃないかな?」
 衝動的に口にしてから、激しく後悔した。これではまるで、晃を間接的に拒絶しているような言い方だ。
 確かに遊園地に連れて行ったり、やたらとものを買い与えたり、子供の歓心を引くためのやり方がいやらしいとは思う。だが、実際にそれで晃が懐いているのだから、必ずしも間違っているとはいえない。晃のためにも、平穏な家庭環境を築くことが何よりも大切だ。
 古賀の混乱を察するはずもなく、晃は目を丸くした。
「おじさんはおじさん、先生は先生だよ。だからどっちとも遊びたい。それじゃだめなの?」
 だめなわけがない。
 それなのに、どうしてもその一言が出なくて、強引に話題を変えた。晃はもう「おじさん」に拘ることもなく、好きな野球選手の昨日の活躍を嬉々として語った。
 晃が帰ってひとりきりになった部屋で、気分転換でもしようと、何本もビールの缶を空けた。
 明日は仕事もないし、晃も来ないと言っていた。おじさんと自転車を見に行くそうだ。
 しかし飲んでも飲んでも酔うことができず、うまくもない酒で腹を膨らますのにも飽きてきて、ばたりと大の字に寝転がった。すると、視界がぐらりと揺れ、天井の染みが知りもしないはずの「おじさん」に思えてきた。大きく口を開けた顔がこちらを眺めおろして、にんまりと意地悪く笑っているように見えた。