最後の物語
 むかし、ある国にそれは愛らしい王女さまがいました。
 声の心地よいことは小鳥がさえずるよう。
 髪の流れることは絹糸のよう。
 瞳の輝くことは貴石のよう。
 肌のすべらかなことは粉雪のよう。
 そのうえ、たいそう性質のやさしく、おだやかなかたでしたので、誰でもひと目見れば、すぐに王女さまが好きになりました。

 しかし、運命はよきにつけ、またあしきにつけ平等でありました。あるとき、王女さまは重い病いをわずらいました。王さまは、花がしぼむように日に日にやせ衰えていく王女さまを見るに耐えがたく、何人もの腕のよい医者とともに、ひとりの吟遊詩人を城にお招きになりました。若さの盛りをほんの少し過ぎた男でした。
 男は毎夜、痛みに眠れぬ夜を過ごす王女さまの枕もとで、静かな声で物語りました。それはうつくしい物語でした。空はどこまでも青く、けぶる緑の葉と、愛すべき人々の物語。
 王女さまは、そのやさしいお話を、ときにはほほえみ、ときには涙して聞きいりました。やがて、ゆっくりとまぶたをおろし、眠りの世界の扉をひらくのです。
 こんこんと続く夜の闇は、もう恐ろしくありませんでした。

 それから季節をひとつ越え、王女さまの瞳はせんのとおりいきいきと輝いていましたが、からだのか細さときたら、冬の枯木よりもひどいものでした。王女さまはほっそりとした指で、男の手をそっとにぎっていいました。
「あなたは今までに九十九のお話をしてくださいました。たぶん、百話目がわたくしが聞くことのできる最後のお話」
 王女さまののほおを、音もなく涙がつたいました。
「あなたに感謝を」
 男の骨ばった手が涙にぬれて、王女さまの瞳と同じように、きらきらとひかりました。

 その夜、男は隣室のいすにひとり腰かけていました。月のない夜でした。男は息をつきました。深い深い息でした。
「これから最後の物語をお話します。かつて、国にひとりのまじない師の男がありました。男は金をもらえればなんでもしました。なんでもです。ひどく貧しかったのです。生活が、何より心が。ある貴族がこの男のうわさを聞いてたずねてきました。姪を殺してほしい、報酬は死体の目方分の金。男はもちろんこれにとびつきました。金以上に人の心をあたためてくれるものはないと思っていましたから。もっとも、男はすぐに金を手に入れたわけではありません。まじないが使えるといっても、確実に人ひとりの命を奪うというのは、容易いことではないのです。物事には順序が必要なのです。例えば、古いのろいのことばを織りこんだ百の物語を聞かせることで、ようやくまじないがひとつ完成します。長い時間をかけて、ついに男の手は、あとほんの少しのばせば金にとどくところまでやってきました。けれど、そうしませんでした。いえ、できませんでした。ただ、この世の多くのみにくいものと、もっと多くのうつくしいものを、金よりもいっそうかがやく瞳にうつしてほしいと願いました。これで、この物語を最後まで聞いたのはわたしだけです」

 あくる朝から、王女さまのからだは見る間に回復していきました。ほおはふっくらと赤みをさし、肌はたっぷりとうるおいました。しかし、よろこびに満ちた城内に男の姿がないとわかると、心は深い悲しみにくれました。

 やがて時は流れ、悲しみは思い出にかわりましたが、王女さまの心の片隅にはいつも男の物語がありました。王女さまは、自分の子どもたちにその物語を聞かせました。物語は子どもたちの子どもたちへ、そしてまたその子どもたちへと語り継がれました。
 けれど、最後の物語は、男とわたしとあなたしか知りません。