なまくら刀
 今は影と消えた遠いむかしのことです。ある国に、ひとふりの刀がありました。それは、珍しい宝石のたくさん埋め込まれた、ぴかぴか光る、立派な鞘におさまって、王さまの腰にぶらさがっていました。刀は、国いちばんの鍛冶屋が鍛えたものであって、その切れ味ときたらすさまじいばかりでしたけれど、一度も、戦で人を切ることはありませんでした。だって、王さまの刀でしたもの。
 王さまはその刀を抜くことなく、次々と他の国との戦に勝利して、財産と、名声と、領地とを手に入れました。もっとも、いちどきに手に入れたものは、同じはやさで失われるのが世の常です。ほどなく、王さまの手のひらのうえから、すべてがはかなくこぼれ落ちるときがやってきました。ついに王さまは、刀を抜くべき瞬間を迎えたのです。しかし、どうしたことか、王さまは、目の前に死の影が迫っても、柄にすら触れようとはしませんでした。それは、王さまの、血をわけた息子の姿をしていたからです。王さまは、老いにすっかり落ちくぼんだひとみで、息子をじっと見つめました。息子は、すこしもためらいませんでした。こうして、王さまは、玉座につっぷして倒れ、二度と、起きあがることはありませんでした。

 戦の混乱に乗じて、刀は、ある名もなき兵士の手に渡りました。鞘は失われていましたけれども、このすぐれた刀は、兵士にたくさんの武勲をもたらしました。そして、なまくらになりました。しかし、今は将となった兵士は、このすっかり切れ味のわるくなった刀を、縁起のよい、お守り代わりとして、いつも持ち歩いていました。
 けれど、しばらくすると、その兵士も、故郷から遠く離れた国の戦場で、山と積まれた物言わぬ屍のひとつとなりました。かつてきらびやかに胸を飾っていた勲章ははぎとられ、ひとつも残ってはいませんでした。ただ、役立たずのなまくら刀だけが、沈黙して、そっと主に寄りそっていました。

 ある月の夜、屍の山を登る、ひとりの少年の姿がありました。少年は、戦で親も兄弟も失って、たったひとりで生きてゆかねばなりませんでした。だから、死臭にまぎれて、何か生きていくのに有用なものがないかと、夜の闇に目を凝らして探していたのです。少年の目は、闇に浮かぶ獣のそれのように、ぎらぎらとかがやいていましたが、誰が彼を責めることができたでしょうか。
 やがて、少年は、ひとふりの刀を手にとりました。
 あのなまくら刀でした。
 少年は手のなかの刀がなまくらであることを知りませんでした。ですから、その刀を持って、街道近くの木のうろに小さく身をひそませました。
 そうして、通りがかった旅人をだしぬけにおそいました。ふるえる声で、切っ先を突きつけおどすも、旅人は子どもとあなどって従おうとしません。しまいに、なまくら刀は、旅人の命をうばいました。あまりにも、お腹がすいていたものですから。月の光に、ほんの一瞬、刃がきらめきました。ぞっとするような、冷たいかがやきでした。柄から伝わる肉をたつにぶい感触に、少年の歯ががちがちとなりした。刀は見た目よりもずっと重たかったので、冷たい刃が、旅人のみならず、少年のほそいうでにも、深い傷を残しました。
 その痛みすらも忘れて、少年は、泣きじゃくりながら、四つんばいになって、やわらかい草のうえにばらまかれた金貨を、一心に拾い集めようとしました。地にまかれた金貨のかがやきは、夜空にまたたく星のようでありました。けれど、手が涙と血とにぬらぬらとすべって、うまく拾うことができませんでした。ちょうど、どんなに手を伸ばしても、空の星には手が届かないのと、同じように。

 それから、幾年もの時が流れました。
 早朝のまだ日の出ていない時分、山沿いの小さな町に、鐘の音がひびきわたりました。教会の鐘楼で、ひとりの老いた僧が、重々しい調子で、朝の訪れをつげる鐘をならしていました。僧服からのぞく骨ばったうでには、古い傷あとが刻まれていました。
 僧がうちならすこの鐘は、家々のいらない金属をあつめて、鋳られたものでした。あの、なまくら刀も、ここに、ひっそりと自分の居場所を見つけていました。
 鐘の音に目をさましたぼうやが、寝床からはいでてきて、ねむたげな目をこすりながら、母親にたずねました。
「あのかねは、だれがならしているの」
「教会の、お坊さまよ、かわいいぼうや」
 ぼうやの目から、透明ななみだが、はらはらとこぼれおちました。
「あらあら、どうしたの」
 ぼうやは、母親のあたたかい手をきゅっとにぎりました。
「どうして、あんなにかなしいおとなの」
 母親は、ぼうやの髪をやさしくなで、かわいらしい額にそっと口づけました。
「きっと、ほんとうにかなしいことを、知っているからよ」
 高く澄んだ鐘の音が、静寂と祈りにつつまれた町のなかに、いつまでもこだましていました。