なんてすごいことがあったんだよ、という話を誰にもすることなく日々は流れていった。
 拍子抜けするくらいのんびりとした毎日を過ごしていると、あの出来事はすべて夢だったんじゃないかと思ってしまう。
「レイナの大陸、そんなに大きな地形の変動があったの?」
「ええ、サクリアの影響だと思うのだけれど。ちゃんとした調査が必要だと思うの。明日もう一度タイラーに相談してみようかと……」
 夕方、ちょうど同じタイミングで帰ってきたレイナと寮の階段で立ち話をしていたら、サイラスが二階からやってきた。
「これはこれは、お二人ともお揃いで」
「お疲れ様、サイラス。じゃあ、私は戻るわね。部屋でデータをまとめておきたいから」
「何か手伝えることがあったら教えてね」
 レイナを見送ったあと、ふと思いついてサイラスに尋ねた。
「そういえば、あの水晶玉はどうなったんでしょうか。異変の原因はわかったんですか?」
「それが全く。色々と検査してみましたが、いたって普通の鉱物でした。調査は終えておりますので、後で部屋にお持ちしましょう」
「あの後、特におかしなことは起こりませんでしたね」
「ええ」
 何も変わらない、起こらない。水晶も、私も、サイラスも。それでよかったと思う。世話係としてのサイラスとせっかくうまくいっているのに、あのときのことを引きずってぎくしゃくしてしまうのは嫌だ。近からず遠からず、適度な距離を保つのが一番。
「……私、あれから考えたんですが」
 自分なりにまとめた考えをゆっくりと口にする。うまく説明する自信はなかったが、サイラスは興味深そうに耳を傾けてくれた。
「宇宙の女王が見ている世界って、あんな風なのかもしれないと思いました。きれいで、孤独で、清潔で。でも、牢獄みたい。満天の星だけが動いている美しい街に閉じこめられて、永遠とも思える時間をたったひとりで生きて……。あの聖地は……誰か、昔の女王が生み出したものなんじゃないかって、そう感じたんです」
「…………」
 サイラスの表情は動かなかった。
「なんて、ただの空想ですけど」
「……いえ、案外的を射ているかもしれませんよ」
 思いのほか真剣に受け止めてくれたので、特に根拠もない想像を披露したのが急に恥ずかしくなってきた。笑いながら、冗談めかして続ける。
「もし万が一、私が女王になって、あの世界に心が閉じこめられてしまったら……またサイラスのお茶が飲みたくなるかもしれません。そのときは」
 そのときはまた入れてくれますか、という言葉をとっさに飲み込んだ。令梟の宇宙の女王が選ばれたら、サイラスは神鳥の宇宙に帰るのだ。たとえ自分が女王になったとしても、彼が近くにいることはない。決して。
 次の瞬間、にわかにサイラスのタブレットがけたたましい電子音を発した。
「オー、テリブル。王立研究院のシステムにトラブル発生とのことです」
「重大なトラブルなんですか?」
「原因の見当はついていますのでご心配なく。では後ほど」
 サイラスはくるりと踵を返して、早足で階段を降りていく。
「で、先ほどの件ですが」
 階段の半ばで、こちらに眼差しだけを向けてくる。そこに微かな笑みが浮かんでいるように見えるのは、気のせいだろうか。
「ピンチに危険にめくるめく陰謀、それからお茶のご用命……そんなときはいつでもお呼びください。私はあなたの執事ですから。いついかなるときにも馳せ参じる、ことが可能かわかりませんが、ま、努力はしますよ。絶対ないということは絶対にありませんので」
 芝居がかった口上に、思わず笑ってしまう。
 まったくもう、こんな時までふざけてばかり。
 笑って、笑って、気づいたときには反射的に手すりから体を乗り出してその名前を呼んでいた。
「……サイラス!」
 階段を降りきったところで、彼はゆっくりと振り向いた。
 ジェスチャーと口パクで以心伝心を試みる。
 うっかり階段から足を踏み外すこと、ありますよね?
 ないことはないかと思いますが。
 靴の踵をとんとんと指で示す。
 私、高めのヒール履いてるので。
 ……なるほど。聞かなかったことにします。
 そう、これはよくあるアクシデント。
 ということにして、階段から身を踊らせる。
 そしてちょうどよく私のサイズ分だけ開かれた腕に、思いきり飛び込むことにした。

《おわり》

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