僕は今日も図書館へ足を運ぶ。ひとつは本の項を繰るため、そしてもうひとつは彼に会うため。彼はいつも図書館のはしっこに、ちいさく座りこんで本を読んでいる。彼のからだは透きとおっていて、とてもうつくしい。僕もまた、彼の横に腰をおろす。彼は僕に気づいていない。僕の瞳は彼をうつすが、彼の瞳は僕をうつしていない。ただ空間のみを共有するこの時間は、ひどく静かだ。
あるとき、彼は手にした本から思い出したように顔を上げて叫んだ。
「読んでも読んでも知識が砂みたいに頭からこぼれ落ちる。記憶が色を失う。こわい、こわい」
そう言いながら、頭を抱える仕草をした。僕は、大丈夫だと気休めのことばをかけて彼を抱きとめようとしたが、腕は空をつかむばかり。彼のいつ終わるとも知れぬ嘆きを、ひとむきに聞き続けることしか許されなかった。
次の日、彼はやはりそこにいた。僕はやはり彼の横に座った。ふと自分の制服の白いシャツに、朝露がわずかに光る青葉がついているのに気がついた。僕は濡れた葉をつまむと、しばらく凝視し、やがて彼が読んでいる本の間に、しおりのようにはさんだ。
「少しおやすみ」
彼は僕を見た。変わらずうつくしかった。彼の瞳に僕がうつる。僕のことばが彼に届く。僕はそのときはじめて欲情を知った。
それ以来、もう二度と彼の姿を見ることはなかった。