時は明け方。
空を覆う黒色の布は一枚、また一枚とはがされ、隠された白が次第にあらわになる。
いまだ人の姿もみられぬ国境近くの街道を、黒色の馬が疾走し、またそれに栗毛の馬がつづいた。馬上で鞭をふるうのはともに年若い少年だった。
やがて国境の町に至る直前で、黒色の馬は歩みを止めた。主は軽やかな身振りで、危なげなく土煙舞う地面に降り立った。もうひとりも、それに倣った。
はじめに降りたほうが、手綱を引きつつ、相手を見ることもなしに冷たく言い放った。
「行け」
「叔父上」
自分を叔父と呼ぶ少年の柔和な表情を、厳しく睨みつける。
「そう呼ばれるいわれはない。兄の妻の連れ子であるおまえとは、血のつながりすらないのだから」
「感謝しています。母亡き後、あの古城で、あなたただひとりがいつもわたしに優しくしてくださった」
旅衣の甥は叔父に歩み寄りながら、母親によく似たあたたかいまなざしを向けた。
「くだらぬ!」
叔父は相手のひたむきな視線から目を逸らし、眉をひそめた。
「おれは一度たりともおまえに優しくあったことなどない」
「あなたが仰るのならば、そうなのかもしれません。ですが、ならばなぜわたしに自由を与えて下さるのですか」
相手の実直なようすをあざ笑うように、唇の端が引きあがる。
「先を思えば、力と財産の分配は少ないほうがよいからだ。万に一つの可能性であっても、平民が我が家名を継ぐなどあってはならぬ」
言いながら、やおら腰に下げた剣を抜き、甥の首筋に淡い陽光きらめく切っ先を突きつけた。
「無駄話をしている暇はない。行け。あわれな継子は死んだのだ。遠乗りに森へでたおりに落馬して、ひとり孤独に息絶えた。死体は獣の腹のなかだ」
「しかし、それにはひとつ誤りがあります」
甥は刃にひるむことなしに、静かな声音で言った。
「何だと?」
「彼は、孤独ではありませんでした」
瞳にゆらぐ光の強さにたじろぎながら、叔父は声を絞り出した。
「おれは」
長い間胸に渦巻いていたものを搾り出すように、ゆっくりとことばを選んだ。ゆがむ唇から漏れたことばは、朝の平穏な風を激しく乱した。
「おまえが嫌いだった! そのもののわかった風ないいようが! それだけではない、表情も、振る舞いも、おれの名を呼ぶ声すらも、全てが大嫌いだった! 初めて出会ったときから、ずっと」
「大嫌いだった。では、今は?」
隠しよりとりだした刃を、逆に今度は自分が相手から突きつけられた感覚に陥り、叔父は目をみはって、虚をつかれたように押し黙った。
やがて唇を強くかむと、剣を握る手に力を込めて叫んだ。
「鶏が鳴く! もう行け! 振り向くな!」
甥はそれを聞くと、悲しげに微笑んだ。
「ぼくは、いつかあなたの手にかかることを覚悟していました。そして、それを受け入れる覚悟も」
目を逸らすことはなかったが、剣の先は手袋の指でそっとずらした。
「さようなら、叔父上」
霧にけぶる朝の空気に、隣国へとつづく道がのびる。はっきりと目に映るそれは迷う心を甘く誘うが、けれど行くべき道ではない。
振り返ると、そこには古城の尖塔がぼんやりと浮かんでいた。低山に建つ古城への道は険しく、道端に生える茨は彼の足を傷つけ、厳しい冷気は彼の頬を切る。
少年は重々しく顔を上げると、己のあるべき場所に向かい、拍車をかけた。