秘めごと
 あるしんと冷えた冬の夜のことでありました。
 遠い国の国境ぞいの街に、貴族の住まうお城がありました。そのお城のなかには、ちいさな部屋がありますが、そのなかのようすを知るのは、空にひえびえとかがやく月のほかにはありません。人も動物も、すっかり眠りこけている時分だったものですから。
 部屋のなかには、ろうそくの炎が頼りなげにゆらめいていました。だいだいの、ろうそくのわずかな灯りは、ふたつの長い影をつくりだしていました。
 ひとつは額に深いしわを刻んだ老いた男のものであり、もうひとつはほおにあどけなさを残す少年のものでした。
 老人は厚い布を張ったいすに深くからだを沈めながら、夢を見ているかのように目をつむり、しずかな声で、ゆっくりとものがたりを語りました。白い息が、あらわれてはまた消えるのをなんどかくりかえしながら、老人のことばは、こおった空気をぱりん、ぱりんと割るように、りんとひびきました。
 一方、少年はというと、机に向かってそのことばをひとつもこぼすことなく、懸命に羊皮紙に書きとめました。少年のまなざしにうかぶかがやきは、この部屋でいっとう強い光でありました。
 老人は作家でした。けれど、自分で羽ペンを走らせることはしませんでした。もう、すっかり目が見えなくなってしまっていたからです。
 お城には、ほかにも読み書きのできる人たちが多くいましたが、そのなかでも、少年は、老人にとって、いちばんのお気に入りでした。
 少年は小間使いの息子でした。あるとき、人の良い城主さまが気まぐれにこの子に字を習わせたところ、ぐんぐん上手くなって、十人見れば、十人ともおどろくようなうつくしい文字を書くようになったのです。そのうえ、丁寧で、仕事もはやいのでした。だから、城主さまが老人を客分として城にお迎えになったおり、少年がこの大切なお役目を任されたのです。
 しかし、老人がこの少年を気に入っていたもっとも大きな理由は、性質がやさしく、誠実だったことです。老人は少年の顔を見たことはありませんでしたけれども、きっと、自分の心にある物語のなかの、立派な、心の清い人物のように、気持ちのよい表情をしているのだろうと思われました。そして、それはまったく、真実でした。
 老人の口から、ことばのかたちをとって、真理があふれでました。
 少年は、ことばの時を、夜の闇のように深く、黒々としたインクでもって、紙にぬいとめました。
 それは、何人も侵すことのできない、神聖な時間でした。
 やがて、ものがたりは、ある国の女王が、敵国の王の剣に倒れる場面へと至りました。
「この思いは私だけのもの」
 老人が女王のさいごのことばを口にすると、少年の手がぴたりと止まりました。少年は我に返えったように顔をあげ、それから、心底すまなそうにいいました。
「申し訳ございません。もう一度だけ、仰ってください。もう一度だけ」
 老人は、少年が聞き逃すなど珍しいこともあるものだと思いながら、もう一度くりかえしました。
 老人は目が見えませんでした。ですから、少年の表情に月の影が落ちて、ふせたまなざしが熱をおびてうるみ、ペンを持つ赤い指がかすかにふるえていることなど、ほんのすこしも、知りませんでした。

 運命の神に栄光あれ。
 ただせつに感謝します、今ここで果てる幸運を。
 あなたへの雷の落つるような怒り、炎の燃えるような憎しみ、そして花の狂うほどのいとしさ。
 この思いは私だけのもの。