どうでもいいこと、よくないこと
 部活動を終え、帰路についたときには、すでに日は落ち、あたりはすっかり暗くなっていた。
 冷気を含んだ風が頬をかすめると、行則はわずかにからだをすくめた。
「行則」
 そのとき、隣りを歩く友人が、だしぬけに横を向いて言った。
「そういえば、おまえ、篠田さんと付き合い始めたんだって?」
「そうだよ」
 行則はきょとんと目をしばたたかせた。
「あれ、正志に言ってなかったっけ」
「今日クラスのやつに聞いた」
「そっか、ごめんごめん。言うの忘れてた」
 行則は顔を赤らめて頭をかいた。
 その仕草を見て、正志は、忘れていたのではなくて、単に気恥ずかしかったのだろうと思ったが、それは口に出さなかった。
 かわりに、からかうような口調で言った。
「一緒に帰ったりとかしないの」
「ば、ばか!」
「あ、そうか。おれもしかして邪魔してた?」
「違うよ、今日は部活あって遅くなるし」
「ふうん、じゃあ、部活のない日は帰る気満々ってことか」
「正志!」
「でもさ」
 耳まで赤くしてうろたえる友人のようすを、しばらくにやにやと眺めていたが、突然、考え込むように顎に手をあてた。
「篠田さんてすごい美人じゃん。なんでおまえと?」
「ひでえ」
「事実だろ」
「実はさ」
 行則は照れくさそうに言った。
「足が速いからだって」
 思わず、すっとんきょうな声をあげる。
「足が速いからあ? 何だそれ?」
「この前のマラソン大会のときに」
 正志はそうか、と納得した風に、冬の空気に赤くなった手を叩いた。
「おまえ、ダントツで優勝だったもんな。あれか」
「うん」
「何、うれしくないの?」
 街灯が照らす友人の表情に陰りがおびたのを、正志は敏感に感じ取った。
「そんなことないよ、ただ」
 行則は星ひとつない空を見あげた。
 白い息を天に向かって吐く。
「もし、おれの足が遅くなったら、どうなるんだろうって思って」
 苦く笑う行則に、正志は何も言わなかった。
 重く気まずい沈黙がふたりの間に流れた。
「今日、冷えるな」
 手を自分の息で温めながら、ふいに、正志のほうが口を開いた。
「まあ、おれだったらおまえの足が速かろうが遅かろうがどうでもいいよ。あんま気にすんな」
 行則はそれを聞くと、目を見開いて正志を見つめた。
 それから、心底うれしそうに顔をほころばせた。
「ありがとな」
 正志は自分に向けられた予想外の素直な謝辞に、一瞬、驚いてことばを失ったが、やがて鼻をすこし赤くして、「どういたしまして」と友人の制服の背を軽く叩いてこたえた。マラソン大会当日、冷えきった空気のなか、その背中を目指して走っていたのも、今となっては遠い記憶だ。追うばかりでなく、正面に回りこめばよかったのだ。しかし、それはできないし、もう遅い。
 触れた指先がきしむのは、寒さのせいに違いない。