つがいのまねごと
 ざあざあと涼やかに水の流れる音が、鼓膜を快く震わせた。雑味のない単調な響きは、静かな夜の雨音に似ている。
 ゆっくりと瞼を落として、絶え間なく降り注ぐシャワーの飛沫に身を任せた。
 熱めの湯が規則的に肌を伝い、柔らかなボディソープのにおいが鼻孔をくすぐる。
 今いるバスルームは掃除がよく行き届いていて、この上なく快適で清潔だった。
 うわべだけ見れば、の話だが。
 ラブホテルの風呂場なんて、すぐ前の客がどういう風に使ったものか、わかったものではない。きれいに見えても、実際には汚れきって雑菌まみれなのだろう。
 人間と同じだな、と思わず笑ってしまった。
 そのとき、背後で扉の開く気配がした。無神経な侵入者に邪魔されて、ささやかな寛ぎの時は呆気なく幕を閉じた。
 さあ、仕事の時間だ。
 肌に残る水滴の余韻を手放して、瞼をこじ開けた。シャワーの水栓をひねりつつ、わざとゆっくり振り返る。
「待ちきれなかったんですか?」
 貴之は悪戯っぽく言うと、バスルームの入口に立つ男に微笑みかけた。
 がっしりした体格のスーツ姿の男は、三十代くらいだろうか。一見するとどこにでもいる勤め人のようだった。だが、空き巣ですらきちんとスーツを着ているらしいこのご時世、外見だけで人の中身まで見定めるのは難しい。
 現に、男の目を少しでも注視してみれば、その奥に沈む澱にすぐ気がつく。自分もまた後ろ暗い行為で金を稼ぐ同類だから、腐ったようなそのにおいを嗅ぎ分けられるものかもしれないが。
 男は、顔にわざとらしい笑みを張り付かせた。
「一緒に入ってもいいかな?」
「もちろん」
 笑顔で言うと、貴之は浴槽の縁に腰掛けた。落ち着けよと半ば呆れながら、男が服を脱ぐ様子を冷ややかに眺める。余裕ぶってはいるが、脚の間にぶら下がっているものは、すでに正直な反応をみせていた。
 この客は他の男の手垢や体液が残っているとでも思うのか、一回洗い流してからでないと、絶対に身体に触れようとしない。くだらない独占欲と潔癖さを、内心で嘲笑した。
 今回で四回目の客だった。
 二回目までは口淫だけ、三回目は本番まで。
 今回は当然最後までするだろう。
 そう考えて、ここに来る直前に公園のトイレで慣らしてきてある。
 一度最後まで至ってしまえば、何となく次もそういう流れになって、客の懐具合が許すなら、手だけ口だけの行為に戻ることは珍しい。
 しかし、たとえ払いが少なくても、着衣のまま口淫だけで満足してくれる客が一番よかった。身体への負担が少なくて済むのはもちろんだが、何より危険が迫ったときにすぐに逃げられるというメリットがあるからだ。最大の弱点を口に含んでいるわけだから、相手も最中に思い切ったことはできないし、こちらも服を着ていれば、何かあっても躊躇なく外に飛び出せる。裸ではそうはいかない。
 残念ながら今日の客は、時間にも金にも余裕があるようだった。
 予想通りの展開になってしまったことへの落胆を微笑の下に押し込めて、貴之は全裸になった男を迎え入れた。
「身体、洗いましょうか」
 わざとらしくない程度にぎこちなさを残した手つきで、男の身体を丹念に洗う。未成年を買うような人間が玄人の技を求めているわけではないことは、承知の上だった。
 自分の身体にもボディソープをつけて、いかにも恐る恐るという仕草で肌を寄せ、そっと擦りあげた。
「君みたいな子がねえ」
 男は耳朶を舐めあげるように言った。硬直した下腹部と同じく、吐息からも情欲がだらしなく溢れ出している。視線だけで強姦されている気分だった。
「どんな風に見えますか」
「優等生なんだろう? 成績もよくて、品行方正で、委員長とか生徒会長とかやって……いたような」
 わざとらしく明言を避けたものの、貴之が現役の高校生であることを男は知っているはずだった。だが万が一の事態が起こったとき、知らぬ存ぜぬで通せるようにしらを切っている。知って買うのと知らないで買うのは、同じようで大違いだ。
 欺瞞には欺瞞で応えるのが筋だ。貴之は男を煽るように、濡れた指を絡ませた。
「まさか。そんなにいい子じゃありませんよ」
「嘘だな」
「じゃあ、その優等生を、これからどうするつもりですか。ねえ、金子さん?」
 呼びかけたとたん、顎を強引に上向かせられ、唇を奪われそうになった。驚いたように身じろぎをして、軽く拒否の姿勢をみせる。
「キスは嫌? この間も、させてくれなかったよね」
「そんなこと、ないですけど……」
 下を向きながら、躊躇うように言った。
「身体は許すけど、キスだけは好きな人とだけってやつ?」
 淫売のくせに。
 金子の瞳に蔑むような炎が浮かんだ。と、上から厚い唇がのしかかってくる。
「ん……」
「名前教えて?」
「平井です」
「それも嘘だろう?」
「ひらい、ゆういち、です」
「大人に嘘ついちゃいけないなあ」
 舌先で口腔を犯される快感に耐えきれず、とっさに男にしがみつく。繰り返される濃厚な口づけの合間、息継ぎする度に甘く苦しげな吐息が零れおちた。
 もちろんすべて演技だった。
 口という器官を他人と合わせたところで、感情が揺すぶられるようなことはない。
 醒めきった眼差しで、自分の唇を夢中で貪る男を冷然と観察した。
 この程度で相手を支配しているつもりになれるなんて、何てお手軽な男だろう。その単純さが、羨ましい限りだった。
 そもそも、よく考えてみれば妙な話だ。金銭の収受だけで成り立っている関係なのに、男は自分が絶対的な優位にあると信じて疑わない。貴之の側は金銭に応じたサービスを与えているだけだというのに。
 舌を根元まで強く吸い上げられ、息苦しさに上半身をよじらせる。すると逃がさないとばかりによりきつく抱き締められて、歯の裏まで舐めつくされた。
 口づけというよりは、唾液の音が虚しく響くだけの啜り合いだ。
 これ以上ないほどの至近距離で手足を縺れ合わせているのに、互いの存在は見知らぬ人間以上でも以下でもなかった。相手の反応を待って、微かに身を引いたり、近寄ったりを繰り返しながら狩猟本能を煽る。セックスは身体を使ったゲームのひとつであって、相手が誰でも、途中どんな経過を辿っても、ゴールが性欲の発散であることは変わりはなかった。
 こういった駆け引きにおいては、こちらから積極的に攻めていくよりも、引き際を見極めるほうが難しい。男のプライドを爪で引っかくように生意気な態度を取るのもひとつの手だが、決してみじめな思いをさせるまで抉ってはいけない。
 弱い人間ほど自分の弱さに敏感で、時にその鬱屈した情念は、暴力になって爆発する。自爆するのは勝手だが、巻き込まれるのはごめんだった。相手に不自由していない様子なのに、わざわざ高校生を買って嬲りたがるような人間は、必ずどこかに脆い部分を抱えている。
 口づけたままの体勢で、筋肉質な腕が腰に回される。汗ばんだ太い指が肌を味わいながら、下へ、下へと移動する感触に、まずいな、と内心で呟く。
 バスルームで事が進むことはことは避けたかった。ゴムがない。このまま流れに乗って生で挿入されたりしたら、たまったものではなかった。
 離れがたい、でも離れなければならない。そんな風に、唇を解いた。軽くよろめいて、はからずもといった具合に男にしなだれかかる。激しいキスをに翻弄されたせいで、腰が抜けた振りをしたわけだった。
「ごめんなさい」
「おいおい、大丈夫?」
 金子は下手な芝居をうって心配そうな声をかけてきたが、どこか嬉しそうな顔をしている。
「俺だけじゃなく、君にも気持ちよくなってもらいたいからね。男としてのマナーだろ?」
 気持ちいいどころか、やたら長いだけのキスで口の中をかき回されて辟易しているところだが、本音は不味い唾液と共に飲み下した。
「……すごく、よかったです」
 恍惚にうっとりとした様子で首に腕を絡めると、甘ったるい香水の気配が鼻をついた。人間の分泌液のにおいは気にならないのに、客の身体に染みついている人工的な香りを嗅ぐと、どれほど高級な品でも胸くそ悪くなる。
 盛りのついた獣でも、もっとましなにおいを発するだろうに。
「お願い」
 嫌悪を用心深く隠して、耳元にそっと息を吹きかけた。
「ベッドに連れて行って」
 腿に当たった不愉快な物体が、また少しだけ大きくなった。

 ホテルを出てすぐ、小さな公園のベンチに座っている人影が、こちらをちらちらと見ているのに気がついた。
 貴之は左右を見回してあたりを伺ってから、小走りでその人物に近づいた。
「先輩」
 囁くように声をかけると、男は背中をびくっと震わせて、ゆるゆると顔をあげた。
 大学生くらいの、よく言えば優男、悪く言えば気の弱そうな青年である。
「やあ」
 貴之は呆れた風に見下ろして言った。
「やあ、じゃないですよ。どうしたんですか、こんなところで。まさか、この寒い中待ってたんですか? 取り分、持ち逃げしたりしませんよ。終わったら連絡するつもりでした」
 はい、と貴之は四つに畳んだ一万円札を、男のコートのポケットに素早く忍ばせた。
「違う違う! そうじゃなくて、あんまり感じのいい客じゃなかったから、貴ちゃん、大丈夫かなと思って」
 男は、もごもごと言い訳じみた言葉を転がした。
「ご心配なく。この通りぴんぴんしてますよ」
 それより、と貴之は自分が今出てきたホテルの出入り口に視線を向けた。
「場所変えましょうか。客が出てくるかもしれませんし」
 ホテル街を抜けて、二人は人混みに身を隠すように、大通りを漫然と駅に向かって歩き始めた。
 男の名は小野勇一。貴之の同級生の兄で、大学生だ。貴之の仕事は、いつも彼から回されてきた。
 出会いは三ヶ月前。
 勇一は家を出てひとり暮らしをしているが、弟である同級生の家に遊びに行ったとき、ちょうど夏休みで帰省していたところにばったり出くわした。
 友人は冗談混じりに言った。
「兄貴、色んなところに顔利くとか前に言ってたよな? いいバイトあったらこいつに紹介してやってよ。金いるんだってさ」
 ふいに、視線が合った。
 一目見て、何かを感じるものがあったのだろうか。帰り際にこっそり連絡先を渡された。それが全ての始まりだった。
 先輩と呼んではいるが、同じ学校に通ったことはない。名字だと弟とかぶるので紛らわしいし、下の名前を気安く口にできるほど親しくはないから、便宜上の呼び名だ。一方の勇一からは、親しみをこめて貴ちゃん、と呼ばれている。弟のように思われているのかもしれない。
 勇一は明るくて、人がよくて、少し押しが弱くて、とてもこういった種類の仕事をしているような人間には見えなかった。今でもその印象は変わらない。
 この仕事を始める時、あるマンションの一室で「研修」が行われた。もちろん資料や映像を見ながらの座学、というはずもなく、いきなりの実地研修だった。どう見ても堅気とはいえない男二人に、客を歓ばすための技を色々と教え込まれた。その場所に貴之を連れてきた勇一は、半ば無理矢理その研修に同席させられた。
 銜えられ、銜えて、入れられ、扱かれ、弄り回され。
 次から次へと与えられる未知の屈辱と苦痛をこらえつつ、涙の滲んだ目でふと勇一を見やると、彼はベッドサイドの椅子に硬直して座り、声を殺して泣いていた。股間のあたりを大きく膨らませて。その様子は滑稽で、ひどく哀れに思えた。
 その瞬間、それまで混乱していた頭がふっと冴えて、急に笑いがこみあげてきた。男に掘られて、いたぶられて、みっともない声をあげて、しかもそれを人に凝視されて、泣きたいのは俺の方だよと思わずにはいられなかった。
 その日は、二人でラーメンを食べて帰った。うまいと評判の店だったが、全く味がしなかった。どちらも終始無言だった。気まずい、恥ずかしいという感情すら疲弊してしまっていた。恐らく、傍観していただけの勇一も同じ気持ちだったのだろう。以来、仕事仲間や友人というよりは、共犯者のような関係が続いている。
 勇一がおずおずと尋ねてきた。
「……変なことされなかった?」
「もちろんされましたよ。変なことされて金貰うのが仕事ですから」
「そうか、そうだよね」
 ごめん、としおらしく言われしまうと、こちらが勇一に対して悪いことをした気がしてしまう。勇一は時々、実際に身体を売っている貴之よりも傷ついているような顔をすることがある。貴之の方はとっくに慣れてしまっているのだが。
 貴之は小さな溜息をついた。
「もう四回目だからかな、そろそろ、お前は俺のものって感じがにじみ出てきました。色々と武勇伝を聞かせてくれましたよ」
「武勇伝?」
「やんちゃ、の一言で笑えないレベルのね」
 詐欺に暴行、恐喝、強盗まがいの盗み、それから薬。
 聞きたくもないのに、金子は若い頃から繰り返してきた悪事の数々を得意そうに話してくれた。
「そろそろ危ないかな」
 貴之は淡々と告げた。
「次、話が来たら断ってください。お友達を連れて来たいって言ってたから、薬使われるかも」
「わ、わかったよ」
 勇一は虚を衝かれたように黙り込んでから、ようやく重い口を開いた。
「……一応、線引きみたいなのはあるんだね」
「男に身体売ってるくせに、薬はだめなんだって? 社会の底辺にいる人間でも、道徳概念が全く欠如してるわけじゃないですよ」
 内心を見透かしたように皮肉っぽく言うと、勇一は口ごもった。
「俺は、そんな……」
「すみません、意地の悪い言い方でしたね。事実なのに」
 弁解しようとする勇一を遮って、貴之は続けた。
「線を引いておかないと、後々困るのは結局自分でしょう。それに母親が、薬やってる男が運転した暴走車に轢かれて死んだので」
「……ごめん」
「その件がなくっても、薬なんかやりませんよ。一時の快楽を得るために、こちらが払うリスクが大きすぎますから。違法だとか適法だとかは関係ありません。人でも物でも、自分以外のものに、自分の主導権を渡すなんてごめんです」
 冷たく言い切った貴之を見つめる勇一の眼差しには、尊敬の色がありありと浮かんでいた。
「貴ちゃんは頭いいなあ。高校生なのに、そこまで考えてるんだ」
「そんなことないですよ。先輩だって、勉強得意じゃありませんか」
「勉強ができるのと賢いのは違うよ」
 でも、と勇一は人懐こく笑った。
「貴ちゃんくらい頭が良すぎると、きっと恋愛なんかできないね」
 そんなこと、考えたこともなかった。確かに、これまで付き合った人間はいたけれど、ほとんどの場合、来る者は拒まないが、去るものも追わないという具合だった。この仕事をはじめてからはそれすらも煩わしくて、最低限の友達付き合い以外は人との交渉を避けている。
「でさ」
 勇一はどもりながら言った。
「た、貴ちゃんはさ、好きな人とかいるの?」
「いません」
「ほらね、やっぱり」
 曖昧な笑顔は、ほっとしたようにも落胆したようにも見える。
 話しているうちに、急にひどい喉の渇きを覚えた。サービスして喘ぎすぎただろうか。
「喉渇いたな」
 ぽつりと呟くと、即座に横から心配そうな声をかけられた。
「どこか店入ろうか?」
 尋ねられて、貴之は首を振った。
「そこまでは……」
「そうだ、お茶あるよ。ちょっと待って」
 勇一は立ち止まって、背負っていた鞄から半分くらい減った日本茶のペットボトルを差し出した。
「飲みかけでよかったら」
 有難く受け取ってひとくち含むと、渇いた喉が瞬く間に潤された。
「ありがとうございました」
 ペットボトルを返そうとしたとき、勇一が妙な顔をした気がした。
 その理由に思い至って、貴之は、あ、と声をあげた。
「すみません、買い直しますね。この辺、コンビニありましたっけ。ちょうどいいや、そこの自販機で」
 仕事の後、ということはつまり、この口で客の身体の様々な部位をなめたり銜えたりしたのだと、たやすく想像できる。そのあたりの感覚が、すっかり鈍くなっていたようだ。
 勇一は貴之の意図を察したのか、はっとして両手を振った。
「違う違う! そういう意味じゃないから!」
 そう言いながら自販機に向かいかけた貴之を引き留めて、持っていたペットボトルをむしり取ると、再び鞄にしまい込んだ。
「それよりさ、これから飯行かない? うまい店見つけたんだ。奢るよ」
「ごめんなさい、これから予定があるので」
「……そう。じゃあ、また今度」
 明らかにがっかりした様子の勇一に別れを告げてから、コインロッカーに預けておいた制服を出してきて、駅ビルのトイレで着替えた。肌にへばりついていたボディソープの残り香は、すっかり消えてしまっていた。
 それから、自宅方面に向かう電車に乗り込んだ。念のため周囲をぐるりと見回し、先ほどの客につけられていないことを確認した。
 少し遠回りになるが、仕事の後は、普段学校に通うときとは違う経路で帰宅することにしている。ホテル以外の場所で会いたいと、しつこく迫ってくる客も少なくなかったのだ。もっともそういった輩は、すぐに勇一の顧客リストから外されてしまうようだが。
 自宅の最寄り駅の改札を抜けて、ようやく一息つく。
 その時、制服のズボンのポケットで電話が震えた。
 無表情でディスプレイを眺めること一分少々、貴之はようやく抑揚のない声で電話の相手に応じた。
「ちょうど電車に乗っていて。今、駅についたところです。……わかりました。ロータリーで待ってます」
 数分後、駅のロータリーに一台の車が滑るように入ってきて、貴之の前で止まった。
 助手席に乗り込むと、運転していた背の高い男が視線を前に向けたまま言った。
「遅かったな」
 三十代前半くらいで、黒っぽいスーツ姿。
 つい先ほど貴之の上で腰を振っていた男と似たような形容詞で表される外見なのに、雰囲気は全く違った。
 金子が荒れ狂う嵐の日の海だとすれば、男の纏う空気は、晴れの日の凪のように穏やかだった。
 暴力めいた激しい情交の後、都会の雑踏と混雑した電車にもみくちゃにされた身には、この静けさはどうにも調子が狂う。
「補講が長引いて」
「土曜なのに、ずいぶん熱心に勉強みてくれるんだな」
 淡泊な口調ではあったが、どこか飄々としていて、冷たさは感じられなかった。
「一応、進学校ですから」
「すごいな、都会の私立は。俺の高校は公立だったから、指導も適当だったよ。腹減ってないか。昼飯は?」
「食べました」
 少しの沈黙のあと、男は尋ねた。
「ラジオつけてもいいか?」
「どうぞ」
「窓開けるぞ。寒くないか?」
「……別にいちいち許可取らなくてもいいですよ」
「まあ、一応な」
 横に座る男に向かって、貴之はにっこりと笑いかけた。
「あなたの車なんだし、俺たち、家族なんですから。ね、村沢さん」
 営業用のとっておきの笑顔であったが、運転席から返ってきたのは、ああ、という素っ気ない声だけだった。