ある女の話
 ある村にひとりの女がいた。
 この世ならぬ美しい女だった。
 村の男たちが、それよりも身分の高い男たちが、みな競うように求婚した。
 しかし、どれほど素晴らしい贈物を前にしても、どれほど多くの銀貨を積まれても、どれほど甘い愛の言葉を捧げられても、女は決して首を縦にふらない。
 ただ微笑を浮かべ、こう繰り返すばかりだった。
「わたしは、自分が生きているのか死んでいるのかわからないのです。確かな生の証をください。そうすれば、あなたのものとなりましょう」
 熱に浮かされたように通いつめていた男たちも、答えのない謎かけにうんざりして、ひとり、またひとりと女から離れていった。

 あるとき、村に旅人がやってきた。
 旅人は女の姿を目にすると、たちまち心奪われてしまった。
 村人たちは諭して言った。
 あれは人に似て人形のようなもの、石のごとき心を動かすなど、神ならざる身には儚い望みでありましょうと。
 だが、旅人は聞く耳をもたなかった。
 旅人は王の子だったから、自分に手に入れられないものはないと思っていた。

 旅人は女にたずねた。
「どうすればお前の心を手に入れられる?」
 女は答えた。
「確かな生の証をください」

 そこで旅人は、馬車いっぱいの高価な宝石や服を贈った。
 女は金と銀とで織られた衣を纏い、首に真珠、胸に翠玉、額に柘榴石を飾った。
「これならどうだ。見事な宝石や服で装った姿を水面に映して見てみなさい。目映いばかりのその美しさこそ、生きていることの証だろう」
「いいえ、いいえ。これではまだわかりません」

 旅人はフィドルの弦を巧みにつまはじき、世にも妙なる音を奏でた。
 女はその音色を聞くと、柔らかな臥所ですやすやと眠ってしまった。
「これならどうだ。全ての生き物がそうするように、お前は眠りについたではないか。ひとときのその安らぎこそ、生きていることの証だろう」
「いいえ、いいえ。これではまだわかりません」

 旅人は城に女を連れ帰った。
 女は多くの召使いにかしずかれ、そこで何不自由なく暮らした。
「これならどうだ。食べるにも困らず、働く必要もない。毎日楽しく暮らしていける。明朗たるその喜びこそ、生きていることの証だろう」
「いいえ、いいえ。これではまだわかりません」

 旅人は女と床を共にした。
「これならどうだ。互いの肌に通う血潮のその熱さこそ、確かに生きていることの証だろう」
「いいえ、いいえ。これではまだわかりません」
 旅人は言った。
「お前がわからずとも、俺がわかればそれでよい」
 それを聞いても、女はなおも変わらぬ微笑を浮かべ、首をかしげるばかりだった。

 旅人と女は長い間平穏に暮らしていたが、ついに女は自分の生を認めなかった。
 やがて、二人の住む国に戦さがおこった。
 旅人も兵士を率いて戦場に赴くことになった。
 旅立ちの日、男は女に必ず帰ると約束した。
 そしてその約束は守られなかった。
 主なき城をあとにして、女はひとり湖に身を投げた。
 冷たい湖水に沈みゆく体と意識のなかで、はじめて自分が生きていることを知った。