幼い佐吉は母とふたりで、小山のうえに染みのように建つ、粗末なあばら家に住んでいた。貧しくはあったが、食うにはさほど困らなかった。月に何度か、蓄えが尽きてくると、母は山を下りていった。そして、どこからともなく食べ物やら布きれやらを手に入れて戻るのだった。しかし、佐助は山を下りるのを固く禁じられていたから、変わらずうつくしい母と、移りゆく山の四季だけが、佐助の世界のすべてだった。
その山からは、すそ野に広がる町が一望できた。ある夜、佐助はにわかに用を足したくなって、布団からはいでた。外にある便所に向かって、闇のなかをとぼとぼ歩いていると、黒々と茂る枝の間から、町の明りがちらちらとまたたいているのが見えた。佐助は、それに引き寄せられるように、じっと、その輝きに目をこらした。すると、だしぬけに、後ろから声をかけられた。
「こら、佐助。こんなところで何してる」
答えは返ってこなかった。母の静かな問いかけは、佐助の耳を風のように通り過ぎただけだった。
佐助はなおも町の光から目を上げずに考えた。きっと、あそこにはここよりもずっと、すばらしい世界が広がっているにちがいない。だって、あんなにきれいなんだもの。
そのとき、ほっそりと白い指先が闇に浮きあがって、佐助の目のまえを格子のようにおおいかくした。母はそっとささやいた。
「あの光をあんまり見てると、おまえのかわいいお目めがつぶれちまうよ」
しかし、白い格子の間からのぞく光は、佐吉にとって、空の星よりも魅力的に思われた。忘れることができなかった。だから、うつくしく、やさしかった母が死んで、親類と名乗る者たちと町に住むようになると、それを手にするために、がむしゃらに努力した。そして、ついには手に入れた。だが、手に入れた途端、満足するより先に、今度は失うのがこわくなった。こうして、佐助の目には、白むようなまぶしい光のほかは、なにひとつうつらなくなっていた。
静かな夜、佐助は広い部屋の真んなかに、ぽつねんと横たわっていた。ふとんのまわりを囲んでいるのは、燭台にゆれる、はかない灯火ばかりであった。人間のぬくもりはうそをつく。だが、明りのそれはうそをつかない。佐助は冷えきったふとんに寝そべりながら、じっと、炎のゆらめくのを見つめていた。そうして、長い時が過ぎた。ふいに、またたきひとつしない、凍りついたような佐助の瞳のなかを、白い影がすぎていった。しなやかな女の腕だった。その長い指先は、佐助のほおをそっとなで、それからやさしくまぶたを閉じた。すると、息を吹きかけたように部屋中のろうそくの火が消え、同時に、小さな老人の命のかがやきもまた、闇のなかに、ふっとかき消えたのだった。