#アンミナ #サイアン #女王と執事 #拗らせ #恋愛未満“宇宙の女王というものについて”続きを読む ほとんど飛び込むといっていいくらいの勢いで医務室に入ってきたとき、並んだ二つの顔は同じように色を失っていた。「サイラス、生きてる?」 動揺しているにしても、いささか不躾すぎる質問を投げかけた女王アンジュを、補佐官レイナが友人の顔で諫めた。「アンジュ! その言い方はよくないと思うわ」 ベッドにいた女王の執事が、タブレットの画面を閉じて薄く微笑んだ。クッションを背中にあてて上体を起こしている。「生きてますよ、陛下」 サイラスは、執事、もといホテルマン風の制服の上着を脱いで、シャツの襟元を緩めていた。頬に擦り傷があるのと、仕事中は常に隙なくセットされている髪がわずかに乱れている以外に、ふだんと違う様子はない。 女王は勢いよく裾をさばいてベッドに駆け寄り、彼女の執事兼補佐官にずいと顔を寄せた。「私の顔に何かご用が?」「擦り傷はあるけど、出血はしてないですね。息もしてるし、顔色もいいし、会話もできてる……」 チェックが終わると同時に、アンジュの表情がぱっと明るくなり、淡い桃色の唇が安堵に綻んだ。「よかった、思ったより元気そうで」「ご心配をおかけして申し訳ございません。猿も木から落ちるといいますが、サイラスくんも穴に落ちることがあるんですね」 完全に人ごとのような口ぶりに、アンジュは呆れた顔をした「もー、またそういう……」 数時間前、サイラスが不慮の事故に見舞われたのは、散歩がてら聖地の障壁にバグが発生していないか森を見回っていたときだった。 サイラスはそのときの様子を蕩々と語り始めた。「森のなかの情景を想像してみてください。ほら、耳をすませば聞こえてくるでしょう……ハッ……あちらからは小鳥の囀り。エッ……こちらからは小川のせせらぎ? 土の匂いを含んだ風が優しく頬を撫で、頭上からは穏やかに木漏れ日が降り注ぎ……とそんな感じで気持ちよく午後のひとときを過ごしていたというのに、まさか突如道が消失し、さらには穴まで出現するとは。ま、バックドアの入り口ではなかったのは不幸中の幸いでした」「恐いこと言わないで!」「なかなかに新鮮な体験でしたよ。落とし穴のような場所に落ちる機会は今までなかったもので。こう、ふわりと胃が宙に浮く感じで。あとはストーンと真っ逆さま」「えっ、真っ逆さま?」「……に落ちなかったのはラッキーでした」「遊園地のアトラクションじゃないんだから……。そんなに深かったの?」「それなりには。悪意を持って掘られたわけではなく、自然発生的にできたもののようですね」「森の奥とはいっても危険ね。すぐに対処するよう指示しましょう。本当に、軽傷ですんでよかったわ」 レイナは言って、ほっとしたように眦を柔らかくした。 そのとき、どこかでタブレットが鳴る音がした。アンジュとレイナは同時に画面を見た。「私?」「いえ、私のみたい。あら、タイラーからだわ……ちょっと行ってくるわね。陛下、また後ほど。サイラス、お大事にね」 慌ただしく去って行くヒールの足音が聞こえなくなると、アンジュはベッドの横にあった椅子に腰掛けた。「もう少しここにいてもいい?」「もちろんです」「今日は大事をとってここに泊まっていくって聞きましたけど」「はい、その予定です。検査では特に異常はみられなかったんですけどね。少々足を捻ったくらいで」「足、捻ったんですか?」「ええ」「ええって……痛みは? 腫れたりしてるの?」「腫れているといえば腫れてますね。しかし軽傷ですし、日常生活に支障は」「あるに決まってるでしょう!」 立ち上がろうとするサイラスを、アンジュは押しとどめた。「何しようとしてるんですか」「立てることを証明するために立とうとしてます」「寝ててください」「ですが」「ベッドにいるの、もう飽きたんですね……」「はい、少々」「気持ちはわかりますが、せめて腫れが引くまで大人しくして」「ためしにジャンプなんてしませんよ」「やめて!」 ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。意外と頑固なところのある執事と長いこと飽きもせず押し問答をしたあと、女王はにっこりと笑いかけた。「ふざけているように見えても、あなたが誰よりも職務に忠実な人だってことはわかってます。でもいいから今は休みなさい、サイラス」 笑みを描く碧の瞳に、威厳を持つ強い輝きが満ちる。「こういうときのためにも補佐官をダブル配置してるんです。元気になったら、また一緒にがんばりましょう? そのときはジャンジャン仕事をお願いしますから」 サイラスはやれやれと諦めたようにそっと目を伏せ、胸に手を当てた。「……御意」「ふふ、いつもと立場が逆ですね。私の看病をあなたがしてくれたことはあったけど」「まあ、執事ですからね」「あ、髪に葉っぱついてますよ。取ってもいいですか」「ありがとうございます」「顔にも少し泥がついているみたい」「たまには童心に帰って泥遊びするのも悪くないですね」「たまには? いつも童心に帰って遊んでるように見えますけど……」「そうでしたか?」 アンジュはサイラスの髪から拾い上げた緑の葉を、指でくるくると回した。「サイラスが怪我をしたって聞いて、すごくびっくりしました。怪我とかしなさそうなイメージだし」「それはそれは。一応生身の人間ですので、怪我もしますし病気にもなります。幸い、今まであまり経験がないですが」「ですよねー」 アンジュは明るく笑った。 笑いながら、ぼすんと乾いた音をさせてベッドの隅にもたれかかり、自分の腕のなかに顔を埋めた。「陛下?」 くぐもった声が、静かな室内に響いた。「サイラスは知らないと思いますけど、最初は状況が全然入ってこなくて、重傷で命が危ないかもって話で、でもあのサイラスが? って信じられなくて」 無防備に晒された首の細さを、呼吸をするたびにゆっくりと動くドレスの背中を、サイラスは黙って見つめていた。白々とした人工的なライトの光を受けて、イヤリングの石が夜空からこぼれ落ちた星のように煌めいた。「ねえ」 静かに尋ねる声がする。「死んじゃうの」 ――そうですね。いずれは。 若木が芽吹くように膨張と発展を続ける令梟の宇宙、その中心である主星には女王と守護聖がおわす聖地が存在する。輝くばかりに美しい常春の都のさらに片隅にある、小さな部屋。小さな背中。「……置いていかないで」 そこで女王がどんな夢を見たのか、誰も知らない。畳む 2023/11/05
“宇宙の女王というものについて”
ほとんど飛び込むといっていいくらいの勢いで医務室に入ってきたとき、並んだ二つの顔は同じように色を失っていた。
「サイラス、生きてる?」
動揺しているにしても、いささか不躾すぎる質問を投げかけた女王アンジュを、補佐官レイナが友人の顔で諫めた。
「アンジュ! その言い方はよくないと思うわ」
ベッドにいた女王の執事が、タブレットの画面を閉じて薄く微笑んだ。クッションを背中にあてて上体を起こしている。
「生きてますよ、陛下」
サイラスは、執事、もといホテルマン風の制服の上着を脱いで、シャツの襟元を緩めていた。頬に擦り傷があるのと、仕事中は常に隙なくセットされている髪がわずかに乱れている以外に、ふだんと違う様子はない。
女王は勢いよく裾をさばいてベッドに駆け寄り、彼女の執事兼補佐官にずいと顔を寄せた。
「私の顔に何かご用が?」
「擦り傷はあるけど、出血はしてないですね。息もしてるし、顔色もいいし、会話もできてる……」
チェックが終わると同時に、アンジュの表情がぱっと明るくなり、淡い桃色の唇が安堵に綻んだ。
「よかった、思ったより元気そうで」
「ご心配をおかけして申し訳ございません。猿も木から落ちるといいますが、サイラスくんも穴に落ちることがあるんですね」
完全に人ごとのような口ぶりに、アンジュは呆れた顔をした
「もー、またそういう……」
数時間前、サイラスが不慮の事故に見舞われたのは、散歩がてら聖地の障壁にバグが発生していないか森を見回っていたときだった。
サイラスはそのときの様子を蕩々と語り始めた。
「森のなかの情景を想像してみてください。ほら、耳をすませば聞こえてくるでしょう……ハッ……あちらからは小鳥の囀り。エッ……こちらからは小川のせせらぎ? 土の匂いを含んだ風が優しく頬を撫で、頭上からは穏やかに木漏れ日が降り注ぎ……とそんな感じで気持ちよく午後のひとときを過ごしていたというのに、まさか突如道が消失し、さらには穴まで出現するとは。ま、バックドアの入り口ではなかったのは不幸中の幸いでした」
「恐いこと言わないで!」
「なかなかに新鮮な体験でしたよ。落とし穴のような場所に落ちる機会は今までなかったもので。こう、ふわりと胃が宙に浮く感じで。あとはストーンと真っ逆さま」
「えっ、真っ逆さま?」
「……に落ちなかったのはラッキーでした」
「遊園地のアトラクションじゃないんだから……。そんなに深かったの?」
「それなりには。悪意を持って掘られたわけではなく、自然発生的にできたもののようですね」
「森の奥とはいっても危険ね。すぐに対処するよう指示しましょう。本当に、軽傷ですんでよかったわ」
レイナは言って、ほっとしたように眦を柔らかくした。
そのとき、どこかでタブレットが鳴る音がした。アンジュとレイナは同時に画面を見た。
「私?」
「いえ、私のみたい。あら、タイラーからだわ……ちょっと行ってくるわね。陛下、また後ほど。サイラス、お大事にね」
慌ただしく去って行くヒールの足音が聞こえなくなると、アンジュはベッドの横にあった椅子に腰掛けた。
「もう少しここにいてもいい?」
「もちろんです」
「今日は大事をとってここに泊まっていくって聞きましたけど」
「はい、その予定です。検査では特に異常はみられなかったんですけどね。少々足を捻ったくらいで」
「足、捻ったんですか?」
「ええ」
「ええって……痛みは? 腫れたりしてるの?」
「腫れているといえば腫れてますね。しかし軽傷ですし、日常生活に支障は」
「あるに決まってるでしょう!」
立ち上がろうとするサイラスを、アンジュは押しとどめた。
「何しようとしてるんですか」
「立てることを証明するために立とうとしてます」
「寝ててください」
「ですが」
「ベッドにいるの、もう飽きたんですね……」
「はい、少々」
「気持ちはわかりますが、せめて腫れが引くまで大人しくして」
「ためしにジャンプなんてしませんよ」
「やめて!」
ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。意外と頑固なところのある執事と長いこと飽きもせず押し問答をしたあと、女王はにっこりと笑いかけた。
「ふざけているように見えても、あなたが誰よりも職務に忠実な人だってことはわかってます。でもいいから今は休みなさい、サイラス」
笑みを描く碧の瞳に、威厳を持つ強い輝きが満ちる。
「こういうときのためにも補佐官をダブル配置してるんです。元気になったら、また一緒にがんばりましょう? そのときはジャンジャン仕事をお願いしますから」
サイラスはやれやれと諦めたようにそっと目を伏せ、胸に手を当てた。
「……御意」
「ふふ、いつもと立場が逆ですね。私の看病をあなたがしてくれたことはあったけど」
「まあ、執事ですからね」
「あ、髪に葉っぱついてますよ。取ってもいいですか」
「ありがとうございます」
「顔にも少し泥がついているみたい」
「たまには童心に帰って泥遊びするのも悪くないですね」
「たまには? いつも童心に帰って遊んでるように見えますけど……」
「そうでしたか?」
アンジュはサイラスの髪から拾い上げた緑の葉を、指でくるくると回した。
「サイラスが怪我をしたって聞いて、すごくびっくりしました。怪我とかしなさそうなイメージだし」
「それはそれは。一応生身の人間ですので、怪我もしますし病気にもなります。幸い、今まであまり経験がないですが」
「ですよねー」
アンジュは明るく笑った。
笑いながら、ぼすんと乾いた音をさせてベッドの隅にもたれかかり、自分の腕のなかに顔を埋めた。
「陛下?」
くぐもった声が、静かな室内に響いた。
「サイラスは知らないと思いますけど、最初は状況が全然入ってこなくて、重傷で命が危ないかもって話で、でもあのサイラスが? って信じられなくて」
無防備に晒された首の細さを、呼吸をするたびにゆっくりと動くドレスの背中を、サイラスは黙って見つめていた。白々とした人工的なライトの光を受けて、イヤリングの石が夜空からこぼれ落ちた星のように煌めいた。
「ねえ」
静かに尋ねる声がする。
「死んじゃうの」
――そうですね。いずれは。
若木が芽吹くように膨張と発展を続ける令梟の宇宙、その中心である主星には女王と守護聖がおわす聖地が存在する。輝くばかりに美しい常春の都のさらに片隅にある、小さな部屋。小さな背中。
「……置いていかないで」
そこで女王がどんな夢を見たのか、誰も知らない。
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