#アンミナ #サイアン #女王と執事 #恋愛未満

愛とはどんなものですか?

 深夜、至急の呼び出しを受けて女王の私邸にある寝室に向かった。
 宇宙は休みなく活動している。それゆえ執務時間外の招集は珍しくない。ただその夜呼ばれたのはどうやらサイラスひとりらしく、王立研究院ではなく直接女王の元へ、しかもプライベートスペースである寝室に来るよう指示されたことだけが珍しかった。様々な可能性を頭の中で展開させて、しかし常よりも早い足取りはまっすぐ迷いなく主を目指す。
 開いた扉の奥にある女王の美しい臥所は薄暗く、ベッドサイドに置かれた小さなランプだけがささやかな光を放っていた。上半身は淡い桃色の天蓋に遮られて様子を覗うことはできないが、滑らかなシーツの上で、小さな爪先がこちらに向きを変えたのがわかった。
「陛下」
 急用であることは理解していたが、一応のマナーとして声をかける。身じろぎをしてから起き上がる気配がして、女王は気だるそうな仕草で天蓋を開けた。
 身につけているのは黒いレースのランジェリーのみ。赤みの強い口紅を引いた唇が、雨に濡れた月のように弧を描く。
 だが、暗がりに白く浮き上がった腕が伸びてきて頬に触れても、サイラスは表情を変えなかった。その手首を優しくとって、彼女の顔をまじまじと見つめた。
 まるで、動物が互いの存在を確認するように。
「陛下……じゃありませんね」
 宇宙の深淵を思わせる眼差しが、ぞわりと音を立てるように微かに動いた。
(ナゼわカッタ?)
「何故と言われましても。外見が似ている以外は、どこからどう見ても違いますよね」
(ならバ話ハ早イ。コの身ヲ今すグ抱ケ)
 それこそ雄と雌との交尾を求めるような淡白さで、人ならぬものは二つの柔らかな膨らみを押しつけてきた。
 口腔に入り込んだ固い異物を咀嚼するような間を置いて、サイラスは礼を失しない程度の穏便さで女王から上体を離した。
「おっと、これはこれは。何故、と今度は私がお尋ねする番ですね」
(こノ宇宙のタメだ)
「嫌です、と申し上げたら?」
(遠カらズ令梟の宇宙ハ均衡ヲ失ウだろウ。過ギた孤独ハ心ヲ蝕ム。女王ハ孤独ニ喘いでイル)
「過ぎた孤独は女王にとって害……つまり、適度な孤独であれば宇宙を治めるのに有用であると?」
 乾いた唇が、笑うような形をして歪んだ。
「言葉は通じてますが、あなたと話していると、鳥……いえ、まるで昆虫と会話している気分になります」
(宇宙が滅ビテモいいノカ?)
「それ以外に方法はないんですか。私以外に相応しい方はいくらでもいると思うんですが」
(女王ノ望みデモあリ、最モ容易い方法デもアル)
 サイラスはベッドの縁に腰掛けて、自らの手のなかに深い息をつき、碧い瞳の奥に広がる深淵を眺めた。
「……たまに思うんですよね」
 それまでの硬質な声とは打って変わった鷹揚な語調で、サイラスは世間話をするように続けた。
「女王や守護聖や、個人の犠牲を必要とするシステムは、そもそも根本から崩壊してるんじゃないかと」
(否定ハシなイが、ソレガ現実デあり、真理ダ)
「女王の意識を失わせたところで事を進める、つまり彼女に選択肢を与えないというわけですね」
(タトえ己ノ望ンだコトダとしテモ、人ハ迷イ、人ハ悔ヤむ。ソシてまタ心ノ均衡を失ウ)
「なるほど、あなたは女王のなかに人の部分を認めてるんですか。残酷なものですね、宇宙意思というのは」
 息の届きそうな距離まで、そっと顔を寄せる。ベッドについた手に男一人分の体重を乗せると、スプリングが重い軋みを上げた。
(理解デキたヨうだな。時間ガ惜しイ。早ク終ワラせて……)
「それなら覚えておいていただきたいんですが、いくら聖地が常春で、王立研究院が女王の健康状態を細かく管理しているといっても、その格好でいては風邪を引きます」
 サイラスはそっけなく言って、自らの着ていた上着を露わになっていたアンジュの肩にかけた。
「人間ですから」
 偽りの女王はわけがわからないと言った様子でベッドに座り込み、無表情で彼女の執事を見上げた。見上げたまま、壊れたアンドロイドのように動作を停止した。
 やがて、サイラスを映した虚無の瞳に透明な水が盛り上がった。熱い滴があとからあとから溢れて、人形のような無機質な頬を滑り落ちていく。温かい流れはいつまでも止まなかった。
(私ノ涙ではナイ)
 宇宙の梟が不思議そうに言うのを聞いて、知ってますよ、と女王の執事は誰にともなく呟いた。



 翌日、朝食の給仕に女王の私室を訪れると、アンジュはしきりに首をかしげて言った。
「なんでサイラスの上着が私の部屋にあったんでしょう?」
「不思議ですね。ワービックリ」
「言うわりに、全然驚いてないですよね」
「聖地では時々、イタズラ好きな妖精が現れるそうですから。聖地の七不思議のひとつに数えられているとかいないとか」
「えー……それ本当ですか? 冗談じゃなくて?」
「私が冗談を言ったことがありましたか?」
「冗談のパーセンテージ、かなり高いと思ってましたけど……まあいいです。ところで」
 と正面から疑問をぶつける。
「同じ服、何枚持ってるんですか」
 執事の上着が自分の部屋にあったこと以上に、彼がいつもと全く同じ格好で現れたのが女王には謎だったらしい。
 サイラスは胸に手を添えて微笑んだ。
「制服のようなものですからね。たとえ不測の事態に襲われても、仕事に支障が出ない程度の数は揃えてあります」
「不測の事態?」
「バックドアから突如出現したトマトソースを頭から浴びるとか、ですね」
「さすがにそれはないんじゃ……あっ」
 手渡した制服の襟元を見て、アンジュは声を上げた。
「ごめんなさい、ここ、口紅の色が移ってるみたい」
「ああ、これですか? すぐ落ちるでしょう。そこはかとなく柄と一体化して目立ってませんし」
「でも」
「お気になさらず。エプロンをしていても料理の最中に汚れることもよくありますので。ちなみに今日のメニューは……ジャン!」
 サイラスは満面の笑みを浮かべ、銀色のクロッシュをパカッと開けた。
「うどんサンド! 久々に見ました……」
「はい、久々に作りました。冷たい牛乳との相性もバツグンです。グイッとどうぞ。ちなみに今日のスケジュールは……ま、予定通りなので、あとでコンパクト型タブレットをご覧いただければ」
「もう、適当だなあ」
 女王のじっとりとした視線を受け流して、サイラスは楽しげに目を細めた。
「あなたがちゃんと女王業をこなせているからこそ、手抜き……もといこういった省力化もできるんですよ。では後ほど、レイナと資料をお持ちして伺います」
「うん。また」
 サイラスはトレイを手にして、辞去の挨拶をする代わりに、どこか道化じみた動作で一礼した。
 ここに来る前に王立研究院でチェックしたデータによると、女王の力は高いレベルで安定し、慈雨のようにあまねく満ちるサクリアによって、令梟の宇宙の均衡は保たれている。
 いつもと同じやりとりがあり、いつもと同じ一日がはじまる。当たり前のように巡る平穏な朝ほど尊いものはない。
 そんなことを思いながら扉を開けようとしたとき、ふと何気なく後ろに目をやった。一瞬、ドアノブを握ろうとした手が宙に浮いた。
 朝の光のなかで、言葉にならない言葉を伝えようとした口が、赤いルージュを拭った唇が、ゆっくりと動きを止め、泣くように笑っていたのだった。

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