#アンミナ #サイアン #女王と執事 #恋愛未満言葉は、要りませんか。続きを読む トン、トトトン。 まるでダンスのステップを踏むように、軽快な動きで仮想キーボードの上を跳ねるのは、宇宙の女王の尊き指だった。『今日の晩ご飯、軽いものをお願いします。サンドイッチとか。ずっと私邸にいたから、お腹が空いてないんです』 浮かび上がった文字列を横から覗き込んで、女王の執事は神妙に頷いた。「なるほど。久々にうどんレタスサンドが召し上がりたい、と」『違います』 即座に否定の言葉を打ち込んでから後悔した。いつも使っている言い方なのに、形にすると何だか言葉が強すぎてしまう気がする。思わずサイラスの方を振り返った。 ふむ、と呟く執事に、特に気分を害した様子はないようだった。「でしたら、たらこにしましょうか。スターゲイジーパイ風味のレシピを先日考案しまして」『それ、本当にたらこのサンドイッチなんですか?』 呆れた顔をすると、サイラスはどこか嬉しそうに微笑んだ。「召し上がってからのお楽しみ、ということで」 提供されるのが軽い食事かどうかは置いておいて、私邸にこもりきりの退屈な生活にちょっとしたサプライズを与えてくれるのは間違いなさそうだ。 アンジュは笑って言った。「全然楽しみじゃありません」 顔色を失い、咄嗟に口を手で押さえる。ひと呼吸おいて、再びキーボードを起動した。『楽しみです』 背後に立つサイラスは、きっとわかってますよとでもいうような表情をしているのだろう。空気が、どこか柔らかいから。「ご期待に添えるよう努力しますよ。まずは魚卵の確保からですね」『まさか採ってくるの?』 サイラスは答えず、いかにも楽しげな目をして、唇をふっと引き上げた。「ご想像にお任せします。さて、ご入り用の品は他にありますか」『特には。色々と用意してもらってありがとう。助かってます。このクッションとか、柔らかいのに長時間座っていても腰が痛くならなくてすごくいいです』「それは何より。ネット通販で買い求めたものなんですよ」『そんな気がしてました』 ネット通販の成果に満足そうな執事の前で、アンジュはクッションを胸に抱いた。 令梟宇宙の女王は、ここ数日、言語機能の不調に悩まされていた。原因は不明だ。宇宙意思に尋ねても、「時ガ満チレバ戻ル」と繰り返すだけ。 生命に関わるような不調ではない。だが、かなりストレスが溜まるのだ。「自分が思っているのと正反対のことを言ってしまう」という症状は。 この状態になってから、仕事はすべて私邸で行っている。不思議なことに、思考と入力された文字は齟齬をきたさなかった。 守護聖や王立研究院の協力もあって、女王の業務は問題なく行えているのだが、誰とも会話できないのが想像以上に堪えている。 事情を知っていればアンジュの真意を汲み取るのは難しくないのだろうと思うものの、人を傷つけるような言葉を発することに強い抵抗がある。話したくない。でも、話したいのだ、本当は。すごく。「陛下」 突然サイラスに声をかけられて、アンジュは無防備に振り向いた。 その瞬間見たものを、令梟の女王は生涯忘れなかった。「あっ……ははははは!」 しんと静まりかえっていた室内に、明るい笑い声が弾けた。 自らの長い指を駆使して言葉に尽くせないほどものすごい顔をしていたサイラスは、一瞬にして元の彼に戻っていた。「そんなにウケていただけて本望ですよ。昔から睨めっこには少々自信がありまして」「だって……そんな……いきなり……」 普段澄ました顔をしている男だから、そのギャップが余計に凄まじい。笑いすぎて段々息が苦しくなってきて、アンジュはたまらず持っていたクッションに顔を埋めた。「もー、お腹」 痛くないと、思ってもない言葉を続けようとしたところで、すかさず合いの手が入る。「痛いですかそうですか。女王陛下に大変な無礼を働いてしまったところで私はそろそろ失礼いたします。ご用がありましたらタブレットか何かでご連絡ください。では」 サイラスは軽く腰を折り、慇懃ではあるがどこか雑な挨拶をした。「サイラス!」 立ち去りかけた執事の背中に向けて、女王が声を張り上げた。同時に、手元のタブレットを掲げて、表示された文字を顔のサイズほどの大きさに拡大する。『ありがとう』 数秒の沈黙の間に、眼差しが交差する。笑みが広がる。心地のよい空気が満ちていく。 それで十分なはずだった。 喉につかえた何かを飲み下し、アンジュは小さく息を吐いた。 今まさに扉が閉まろうとしたそのとき、微笑を湛えたまま、女王の唇がゆっくりと動いた。「あなたなんて、大嫌い」 重い扉によって二人がいる空間が隔てられた後、男は一瞬だけ振り返るようなそぶりをみせたが、笑みの消えた顔を上げ、長い回廊を黙って歩きはじめた。畳む 2024/10/14
言葉は、要りませんか。
トン、トトトン。
まるでダンスのステップを踏むように、軽快な動きで仮想キーボードの上を跳ねるのは、宇宙の女王の尊き指だった。
『今日の晩ご飯、軽いものをお願いします。サンドイッチとか。ずっと私邸にいたから、お腹が空いてないんです』
浮かび上がった文字列を横から覗き込んで、女王の執事は神妙に頷いた。
「なるほど。久々にうどんレタスサンドが召し上がりたい、と」
『違います』
即座に否定の言葉を打ち込んでから後悔した。いつも使っている言い方なのに、形にすると何だか言葉が強すぎてしまう気がする。思わずサイラスの方を振り返った。
ふむ、と呟く執事に、特に気分を害した様子はないようだった。
「でしたら、たらこにしましょうか。スターゲイジーパイ風味のレシピを先日考案しまして」
『それ、本当にたらこのサンドイッチなんですか?』
呆れた顔をすると、サイラスはどこか嬉しそうに微笑んだ。
「召し上がってからのお楽しみ、ということで」
提供されるのが軽い食事かどうかは置いておいて、私邸にこもりきりの退屈な生活にちょっとしたサプライズを与えてくれるのは間違いなさそうだ。
アンジュは笑って言った。
「全然楽しみじゃありません」
顔色を失い、咄嗟に口を手で押さえる。ひと呼吸おいて、再びキーボードを起動した。
『楽しみです』
背後に立つサイラスは、きっとわかってますよとでもいうような表情をしているのだろう。空気が、どこか柔らかいから。
「ご期待に添えるよう努力しますよ。まずは魚卵の確保からですね」
『まさか採ってくるの?』
サイラスは答えず、いかにも楽しげな目をして、唇をふっと引き上げた。
「ご想像にお任せします。さて、ご入り用の品は他にありますか」
『特には。色々と用意してもらってありがとう。助かってます。このクッションとか、柔らかいのに長時間座っていても腰が痛くならなくてすごくいいです』
「それは何より。ネット通販で買い求めたものなんですよ」
『そんな気がしてました』
ネット通販の成果に満足そうな執事の前で、アンジュはクッションを胸に抱いた。
令梟宇宙の女王は、ここ数日、言語機能の不調に悩まされていた。原因は不明だ。宇宙意思に尋ねても、「時ガ満チレバ戻ル」と繰り返すだけ。
生命に関わるような不調ではない。だが、かなりストレスが溜まるのだ。「自分が思っているのと正反対のことを言ってしまう」という症状は。
この状態になってから、仕事はすべて私邸で行っている。不思議なことに、思考と入力された文字は齟齬をきたさなかった。
守護聖や王立研究院の協力もあって、女王の業務は問題なく行えているのだが、誰とも会話できないのが想像以上に堪えている。
事情を知っていればアンジュの真意を汲み取るのは難しくないのだろうと思うものの、人を傷つけるような言葉を発することに強い抵抗がある。話したくない。でも、話したいのだ、本当は。すごく。
「陛下」
突然サイラスに声をかけられて、アンジュは無防備に振り向いた。
その瞬間見たものを、令梟の女王は生涯忘れなかった。
「あっ……ははははは!」
しんと静まりかえっていた室内に、明るい笑い声が弾けた。
自らの長い指を駆使して言葉に尽くせないほどものすごい顔をしていたサイラスは、一瞬にして元の彼に戻っていた。
「そんなにウケていただけて本望ですよ。昔から睨めっこには少々自信がありまして」
「だって……そんな……いきなり……」
普段澄ました顔をしている男だから、そのギャップが余計に凄まじい。笑いすぎて段々息が苦しくなってきて、アンジュはたまらず持っていたクッションに顔を埋めた。
「もー、お腹」
痛くないと、思ってもない言葉を続けようとしたところで、すかさず合いの手が入る。
「痛いですかそうですか。女王陛下に大変な無礼を働いてしまったところで私はそろそろ失礼いたします。ご用がありましたらタブレットか何かでご連絡ください。では」
サイラスは軽く腰を折り、慇懃ではあるがどこか雑な挨拶をした。
「サイラス!」
立ち去りかけた執事の背中に向けて、女王が声を張り上げた。同時に、手元のタブレットを掲げて、表示された文字を顔のサイズほどの大きさに拡大する。
『ありがとう』
数秒の沈黙の間に、眼差しが交差する。笑みが広がる。心地のよい空気が満ちていく。
それで十分なはずだった。
喉につかえた何かを飲み下し、アンジュは小さく息を吐いた。
今まさに扉が閉まろうとしたそのとき、微笑を湛えたまま、女王の唇がゆっくりと動いた。
「あなたなんて、大嫌い」
重い扉によって二人がいる空間が隔てられた後、男は一瞬だけ振り返るようなそぶりをみせたが、笑みの消えた顔を上げ、長い回廊を黙って歩きはじめた。
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