#アンミナ #サイアン #女王と執事 #恋愛未満

女王陛下のバレンタイン

「チョコレート」
 呟くと、はい、とどこかで声がした。
「って、何でできてるか知ってますかー?」
 テンション高めで舌っ足らずな語尾を、平坦な返答が受け止める。
「また唐突にクイズがはじまりましたね。主な原材料といいますと、カカオ豆でしょうか。あとは砂糖やら、ミルクパウダーやら」
「ふふ、半分正解! でも半分不正解」
 令梟宇宙の女王はいたくご機嫌だ。ご機嫌なのだが、あとの言葉が続かない。
 不穏な沈黙をゆるやかに押しのけるように、呼びかけられる。
「僭越ながら、陛下。もしもし。もしもーし?」
「あ、ごめんなさい。寝てました」
「構いませんよ、寝ていただいても」
 ただし、ご気分が優れないようでしたらお早めにご連絡ください、と事務的に言い添えるサイラスに、アンジュは子どものように駄々をこねた。
「騒がないし、暴れないし? でもやだ。起きてます」
 背中越しに、浅い溜息を感じる。
 それから、唇を軽く引き上げるあの微笑の気配。
「なるほど、やだ。でしたら、もうちょっとだけ頑張りましょうか。あと少しで寝室につきますから」
「えー、着いちゃうんですか?」
「ええ。私の体力もそろそろ限界を迎えようとしてますし」
「じゃあ、仕方ないですね……では、発表します! チョコレートが何ができているか? 正解の半分はぁ!」
 一拍おいて、アンジュは片手を振り上げようとした。が、そうすると確実に落ちることに気がついて寸前で諦めた。
 女王は現在、リュックサックの如く彼女の執事の背負われている。サイラスの筋トレに付き合っているわけではない。酔っ払っているのだ。
 宮殿から私邸までは馬車を使い、「あとはひとりで大丈夫」と自己申告したものの、客観的にみて大丈夫ではないと執事が判断した結果、かくもこのような方法で運搬されることになった。
 女王候補時代はともかく、即位してからここまで酔うのは珍しい。ちなみに足は素足である。回廊の途中で靴は一足ずつ脱げ落ちてしまったし、イヤリングも片方耳から取れているが、サイラスは拾うのを諦めて後で回収することにしたらしい。
「ありがとうの気持ち、です!」
 腕を振り上げて表現する代わりに、アンジュは力強く答えた。と同時に、サイラスの首にしがみつく力も強さを増した。
 サイラスの背中に一瞬緊張が走ったが、すぐさま体勢を整えてピンチを切り抜けたようだった。
 かつてアンジュの故郷で一般的だったバレンタインデーという季節行事は、令梟宇宙の聖地ではアレンジが加えられ、「お世話になっている人たちに女王がチョコレートを振る舞う日」として定着しつつあった。
 補佐官や守護聖だけでなく、聖地で働くスタッフたちにも、宇宙各地から集められたチョコレートを中心に、甘い物が苦手でも楽しめるよう、様々な菓子や飲み物が提供されるのだ。
 今年はサイラスの発案によりガーデンパーティー形式で行われた。女王試験のときのポットラックパーティーを思い出して懐かしくなり、ついチョコレートリキュールを使ったカクテルを飲み過ぎてしまったのだ。口当たりはいいものの、かなり度数が高かったのだと知ったのは、すでにグラスを数杯空にしてしまった後だった。
「みんなに、ありがとう! サイラスにも、ありがとう!」
 勢いよく頬にキスするが、執事はまったく動じない。親愛の表現であることを疑いもしない様子で、たぶんにっこりと笑って、サイラスは振り向きもせずに言った。
「はい、こちらこそ」
 こんなに近くにいても干物のにおいはしないんだな、と思ったのが最後、記憶が途切れた。


 チョコレート。
 と呟こうとしたけれど、声にはならず、唇が言葉の形を作っただけだった。
 さっきまではリュックサックみたいに背負われていたのに、まるで宝石を扱うように、丁寧に、慎重に、ゆっくりと滑らかなシーツの上に寝かせられて、女王は夢を見る。
 顔の上を横切っていく手から、甘い香りがした。
 ほとんどのチョコレートを揃えてくれたのも、パーティーの設営をしてくれたのも彼だから、まだ香りが残っていたのかもしれない。
 大切な人たちと過ごした楽しいひとときが蘇ってきて、アンジュは微笑んだ。
 甘酸っぱいフルーツ、ナッツにスパイス、キャラメルやコーヒー、蕩けるようなリキュール、新鮮なミルク、マシュマロの浮かんだ熱いホットチョコレート。
 お返しはいらないと伝えてある。もう、たくさんのものを貰っているのだから。
 鮮やかな思い出を纏わせながら、軽く頬に触れたのは、何だかくすぐったくて柔らかいけれど、きっとあの人の指先。

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