「……ん?」
その晩、夕食を終えた私は、眉根を寄せてリビングにある水晶玉に顔を寄せた。
つるりとした面に、丸い曲線を描いた自分の姿が映っている。部屋の照明を反射して輝いてはいるものの、いつものように澄んだ光ではなくて、どこかくすんでいるように見えた。
手近にあったハンカチでゴシゴシと強めにこすってみるが、元の輝きは戻らなかった。
「埃がついたかな?」
そのとき、軽いノックが聞こえた。夕食の片づけをしにサイラスがやってきたのだ。
「この水晶って、サイラスが用意したものですよね」
彼を招き入れて、水晶の異変について尋ねてみた。
「割れているとか色が変わってるとかはっきりした変化があるわけじゃないんですけど、なんとなく違和感があって。あとでキッチンにある洗剤を借りてもいいですか? 洗えばきれいになるかも」
「デリケートな材質ですので、タワシでゴシゴシなさるのはお止めになった方がよろしいかと」
洗剤作戦はやんわりと拒絶された。いいアイデアだと思ったのに。
「……なるほどなるほど」
状況を説明し、サイラスと一緒に水晶を覗きこんだ。光沢のある円に二つの顔が並んでいる。
「あなたが仰るとおり、何らかの不具合が発生しているようですね」
水晶をなでながら、ふむ、と考え込んだサイラスに、かねてから疑問に感じていたことを尋ねた。
「そもそも、この水晶って何ですか?」
「何、とは」
「特に説明もなく置かれてましたけど、毎晩……」
「毎晩?」
毎晩、守護聖たちの私生活の一部を密かに覗き見ていますとは言い出しずらく、もごもごと言葉尻を濁らせた。
「あー、その、えっと……」
「この水晶には不思議な力があるのですよ。野暮なことは申しませんが、まあ色々」
「そんな力があるなら、最初に教えてくれればよかったのに」
「教えてほしいですか。本当に?」
サイラスは軽く口角を引き上げた。
「こっそり秘密を味わう、というのもオツなものではないでしょうか」
つまり全部知ってるんでしょ。
「サイラス……」
しれっと言う執事に呆れて口を開きかけたそのとき、ふいに水晶が淡い光を放ちはじめた。と、はじめ弱々しかったその輝きが、一瞬で強烈な閃光に変わった。
「!?」
光のまばゆさに思わず目を瞑ると、足の裏が床を離れて、身体全体がふわりと宙に浮いた。
「え? え?」
何が起こっているの?
突然のことに頭がついていかない。
「ね、ねえ、サイラス。私の気のせいじゃなければ、私たち身体浮いてますよね? これも不思議な力のせい?」
「いえ、これは」
横にいるサイラスも同じような状態だ。彼ははじめて見せる顔をしていた。頭の中のデータベースをもの凄いスピードで探っているという表情。
「なに……」
全身にぐっと重さがかかり、まるで見えない手に浚われるかのようにゆっくりと吸い込まれていく。光の渦の中心、あの水晶へと。
いきなりの暗転。
フェードアウトする暇も与えてくれない。
寮の部屋も、飛空都市も、意識も……すべてが遠くなるなかで、名前を呼ばれた気がした。
差し伸ばされた手を……