「お茶が飲みたいです」
いきなりそんなことを言い出したせいか、一瞬、背中にある手の動きが止まった。
「……お茶ですか?」
「はい。別に喉は乾いてないんですけど。急にお茶が飲みたくなりました」
水にも茶葉にも、ティーポットにすら触れないのだ。現実的に考えて、お茶が入れられるはずがない。
なのにどうしてそんなことを思いついたのか、自分でもよくわからなかった。
そんなの適当に流せばよかったのに、サイラスは真面目な表情になった。
「さて、困りましたね」
身をほどいて、サイラスは全然困っていない口調でのんびりと言った。
「湯も茶葉もご用意できませんし……が」
そのとき、ふっと口元がゆるんだ。
「ま、あるものを活用しましょうか」
あるもの。
何のことかといぶかしんでいると、サイラスはおもむろにお茶の支度をはじめた……見えないお湯、見えない茶葉、見えないティーカップで。
まるで寮の厨房がそこにあるようにサイラスの指が動く。
蛇口をひねり、薬缶に水を入れる。沸騰するまでの間に茶葉の用意をする。
「何のお茶ですか」
「その辺にあるお茶を適当にブレンドしてみました」
と彼はいって、熱い湯をポットについだ。……ふりをした。
そこでようやく理解した。
ここにあるもの。
あなたと私。
それから想像する力。
「本来ならポットやカップを温めておくそうですが、適宜省略させていただいております」
「サイラスって結構大雑把ですよね」
お茶の葉が開くまで、しばらく待つ。
やがて、ととと……と、軽い音を立てて、ポットの口から琥珀色の液体が注がれた。
「お待たせしました」
どうぞといって、サイラスはソーサーに乗せたカップを差し出した。
おままごと?
いや違う。幻だったはずのお茶は、二人の間でだんだんと現実のものになっていく。
顔を近づけると、甘い香気が漂ってくるようだった。
「いい香り」
「お気に召したのなら幸いです」
サイラスは、ここがまるで寮の居室であるように微笑んだ。
温かいお茶を中心にして、モノクロだった世界に色彩がよみがえってきた。
たった一杯のお茶が私に力をくれる。このお茶を飲んで少しだけ休んだら、また歩きだそう。明日に続く道を。
カップの縁にそっと唇をあてた。