目の前に置かれたマグカップには、ミルクをたっぷりと入れた熱いコーヒーが湯気を立てていた。
将生は、貴之が普段ブラックコーヒーしか飲まないことを知っているはずだ。それなのに今日に限って、なぜ大量のミルクが落とされているのだろう。
もしかして、今いるのは夢の世界なのだろうか。
目が覚めたら、眼前に金子のにやけた顔がまだあるかもしれない。
それはごめんだなと思いながら薄茶色の液体を眺めていたが、雨に濡れてすっかり冷え切った身体が求めていたのだろう、やがて無意識のうちにカップの取っ手に指が伸びていた。
蜂蜜でも混ぜているのか、口に含んだコーヒーはほんのり甘くて、底冷えしていた胃の奥にじんわりと熱が広がっていった。夢とはとても思えない現実感を伴って。
甘い菓子パン、甘いコーヒー。
餌付けでもするように、今日は甘い物ばかり与えられている気がする。
そんなことを考えていたとき、風呂場の方から将生がやってきた。
「風呂沸いたぞ。すぐ入るか?」
貴之は顔も上げずに首を左右に振った。
「後にします」
「ちょっと待ってろ、今適当なものを……」
「腹減ってませんから、食事は結構です。それよりも」
台所に向かおうとする将生に、貴之は鋭く尋ねた。
「俺に聞くことはないんですか」
将生は立ったままソファに視線を落としてから、カウンターで自分のカップにコーヒーを注ぐと、貴之のすぐ隣にどっかと腰を下ろした。
「……元気か」
唐突にそんなことを言われても、反応に困る。貴之は眉を顰めた。
「何ですか、それ。意味分からないんですけど」
「いや、疲れているように見えたから」
そう言う将生の眼の下には、薄い隈のようなものが見えた。
あんたの方がよほど疲れた顔をしている、そう口にしようとして、貴之は言葉を飲み込んだ。将生の疲労の原因が、貴之にあることは明らかだった。
マンションの前で会ったとき、将生はスーツではなく私服姿だった。この中途半端な時間に、一度職場から帰宅して、わざわざ着替えてまた外に出たとは考えにくい。恐らく、仕事を休んだのだろう。脅迫めいたやり方で強引に関係を結ぼうとした、血の繋がりのない息子を探すために。
そういえば、由美子を轢いたトラックの運転手も被告人席で同じようなくたびれた顔をしていた。公判の最中、静まり返った法廷内に女の啜り泣きが聞こえたことがあった。傍聴人席の一番後ろに座っていた、運転手の妻の嗚咽だった。大きい腹を抱えていた。
弁護士は被告人が碌々休みも与えられずに勤務させられていたこと、常態化した過酷な仕事をこなすために薬に手を出してしまったこと、妻思いのよき家庭人であったことなどを芝居がかった声で告げていた。母の命を奪った憎い敵が生身の存在になったとたん、爆発する寸前まで膨れ上がっていた怒りと興奮がすっと冷えていって、感情が行き場を失った。
将生の横顔を見て、そんなことをぼんやりと思いだした。
貴之は平たい声音で尋ねた。
「学校や警察には連絡したんですか。家出したって」
「まだだ。今夜戻らなかったら、捜索願を出すつもりだった」
そうですか、と貴之は低く呟いた。
捜索願は出されていない。学校を一日くらい休んだとしても、教師に不審に思われることはないはずだ。つまり、貴之は成績優秀な優等生の座から転落してはいないわけだ。
勇一と会うことはもうない。仲介人がいなければ、貴之の仕事は成り立たない。失業だ。
その上有り難いことに、将生は義理の息子にされたこと、言われたこと、すべてなかったかのように接してくれる。
あとは、貴之が腹をくくるだけだ。
明朝、何事もなかったかのような顔をして学校に行き、授業を受けて、帰宅したあと将生の作った食事を食べて、少し勉強し、風呂に入って寝ればいい。眠っているうちに、やがて次の朝がくる。そうやって単調な日常を繰り返していれば、いずれ高校も卒業だ。希望通り就職し、同時にまとまった貯金を得て、将生との養子縁組も解消し、めでたしめでたし。
望み通りの結末を迎えるためには、売春していたことも、将生に関係を求めて失敗したことも、家出をしたことも、暴行されたことも、体裁の悪い過去はなかったことにしてしまえばいい。
すべては元通り、再び、息苦しい毎日と中身のない家族ごっこのはじまりだ。失敗を教訓にして、今度こそうまくやっていく自信はあった。
「……あんた、自分の意志とか感情とかないんですか?」
それなのに、どうして口が勝手に動くのだろうか。自分で自分が信じられなかった。他の大人にそうしているように、内心で嘲笑しながら従順な振りをしていればいいのだ。
「親のくせに、子供の言いなりなんですか? 仕事で機械ばっかり扱ってるから、心まで機械になってるんじゃないですか?」
早く風呂に入って、早く寝てしまえ。
理性はそう説くのに、汚泥のような醜い言葉が次から次へと吐き出されて止まらない。この聞くに耐えない感情的な声が、自分の口から発せられているとは思いたくなかった。
「売春の口止めをするために、親と無理やり関係を持とうとするような息子ですよ。何で平気な顔して許すんですか? 俺に興味がないからですか? 社会的にも感情的にも、簡単に許せる行為じゃないですよね。それとも単に、厄介事を避けたいからですか?」
将生は脚の上で指を組みあわせ、黙って貴之の言葉を聞いていた。
「村沢さん、俺たち、はじめから無理だったんですよ。こんな次から次へと面倒ばっかり起こす不良息子、若いあんたにはお手上げでしょう? 俺だったら無理ですよ。とっくに縁切ってます。……他人同士なのに、家族の真似事なんてできっこなかった。母さんがいたときは、どうにか繋がっていられたけど、もう」
貴之は一気にまくしたてるように続けた。
「あんたと母さんがどんな話し合いをして結婚することになったのか、俺は知りません。知りたくもありません。でも母さんがいなくなってから、この家にいるのが苦しかった。ずっと。村沢さんだってそうでしょう?」
将生の唇が何かを言いかけた。だが、それに続く言葉は沈黙に飲み込まれてしまった。
「疲れているみたいだから、今夜は休んで、また明日にしましょうか」
貴之は唇を引き上げて、重い静寂を鋭く切り裂いた。
「それじゃ、いつまで経っても堂々巡りですけどね。……いいですよ、もう寝ます。俺も、今日は疲れました。続きはまた明日」
苛立ちも露わに言い捨てて、貴之は勢いよく立ち上がった。
そのとき、ふいに身体の中心に違和感を覚えて、自室に向かって踏み出しかけた足が凍りついたように動かなくなった。
「どうした?」
気遣わしげな将生の声音が、ひどく遠くに聞こえた。
触れて確かめてみなくてもわかった。
脚の間から、それが滑り落ちたのだ。
泥水のようにどろりと濁った、白い汚物が。
貴之は愕然と眼を見開いた。
公園のトイレで、全部かきだしたはずだったのに。
気づいたときには、身体の震えが止まらなくなっていた。
「具合でも悪いのか」
隣にいる将生の問いかけを押しのけて、大勢の笑い声が耳を圧倒した。甘ったるい香水の残り香が鼻先に漂った。
次の瞬間、目の前に無数の火花が散った。
と思うや、急に息ができなくなって、貴之は呻いてその場にしゃがみこんだ。立つために、前に進むために、足を支えてきた虚勢が瞬く間に崩れ去った。ガムテープで口を塞がれたときのあの苦しみが蘇った。
よろけた拍子ににテーブルの上のコーヒーが倒れて、茶色い飛沫が床に飛び散った。
「貴之!」
必死で唇を開けているのに、息ができない。
恐怖心がさらなる恐怖心を呼び起こして、毛穴という毛穴から粘つく汗が吹き出した。
空気を吸って吐く。その単純な動作を身体が忘れてしまったようだった。
呼吸困難に陥った貴之を腕の中に抱え込み、将生は背中を優しくさすりあげた。
「大丈夫、ゆっくり息をしなさい。そう、ゆっくりでいいから……」
二十分後、ようやく呼吸が落ち着いてくると、ソファの上に貴之を横たえた。
「……俺は」
「無理に喋らなくていい」
将生は静かに言うと、貴之の衣服を緩めようと手をかけた。
「触るな!」
貴之が手を払おうとしたときには遅かった。すぐ近くで、息をのむ気配がした。聞かなくてもわかる。暴行の痕跡を見られたのだ。沈黙が肌を刺す。貴之の身に何が起こったか、将生は理解したに違いなかった。
数秒おいて、固い声が告げた。
「すぐに車で病院に行こう。それから警察にも」
「嫌だ」
血を吐くような叫びが迸った。
「絶対に嫌だ! 相手はもうとっくに別の事件で逮捕されてるような男なんです。多少刑期が伸びたところで、痛くもかゆくもありませんよ。でも、俺は違う」
すぐ目の前にある将生の顔が、苦しげにたわんだ。
「いくら隠していても、秘密なんてどこからか絶対に漏れる。男相手に身体を売って、挙句の果てに強姦された高校生。いい噂話の種ですよね。下手すれば、一生言われて、後ろ指をさされ続けるかもしれない。それなのに、被害届を出すメリットがどこにありますか?」
そこまで息継ぎもせず喋り切ると、にわかに吐き気がこみ上げてきた。耐えきれず胃液と共に吐き出したのは、今まで食べた中で一番美味しいと思ったはずのもの、冷え切った身体を甘く温めてくれたもののなれの果てだった。そこにこめられていた善意とか、良心といった眩しいものが、汚れきった人間の一部になることを拒絶したのだと思った。
「もういい」
静かな声音と共に、強い力で引き寄せられた。
「もういいから」
吐瀉物で汚れた唇を胸で塞がれても、嗚咽は止まらなかった。将生は貴之の肩を抱いたまま、長い時間身じろぎひとつしなかった。
みじめな感情が濁流のように押し寄せてきて、思考は完全に混乱していた。それでも、かろうじて底にへばりついていた理性が告げる。
彼を責めるのは筋違いだよ。
自分の浅慮が招いた結果じゃないか。
自業自得。因果相応。
保身のために人を脅して、欺いてきた報いを受けているだけ。
その通りだと思った。
それなのに、自らの喉と舌を制御できなかった。
貴之はほとんど締め上げるような強さで、将生の首にすがりついた。
「警察にも病院にも行かない。代わりに、あんたが犯してくれよ。何も考えられないくらいに、めちゃくちゃにしてくれよ。めちゃくちゃにして、痛めつけて、全部忘れさせてよ!」
そこで、ふっと全身の力が抜けた。
将生が何か言ったような気がしたが、もう聞こえない。
何も感じない。
世界は再び、闇に包まれた。
朝の教室は、賑やかというよりも姦しい。それに寒い時期であっても、酸っぱい男臭さと濃厚な人いきれでどこか湿っぽかった。男子校の生活には、この芳しいにおいがいつでもついて回る。
「おはよ」
挨拶と共に馴れ馴れしく肩を触られた。貴之は頬杖をついたまま、本のページをめくり続けた。
「何か用?」
「つれないなあ」
明るく話しかけてきたのは、クラスメイトの小野栄二だった。
「英訳写したいんだろ」
「わかってるなら聞くなよ。今日、当たりそうなんだよね」
「缶コーヒー」
「え?」
「無糖で」
「……高くない?」
「嫌ならいいけど」
栄二はぶつぶつ文句を言いながら、ほとんど放り投げるようにして渡されたノートを受け取った。
「そういえば、こないだ紹介した子、お前の連絡先知りたいみたいなんだけど、教えていい?」
貴之は首を傾げた。
「こないだって、誰?」
「もう忘れたの? 結構可愛い子だったじゃん」
「適当な理由つけて断って」
「勿体ない」
「いいよ、面倒くさい」
心底興味がなさそうに言うと、栄二は丸めたノートで貴之の頬をぐりぐりと抉った。
「村沢さあ、前会った子もそんな感じだったよな。どんだけ好みうるさいんだよ。もしかして、熟女好き?」
「まさか」
「ロリコン?」
「冗談」
「あ、それとも」
言葉尻に悪意のようなものを感じて、ふと顔をあげる。栄二の口の端に、ねっとりと嫌な笑いがへばりついていた。
「やっぱり、男の銜えてるほうが気持ちいい?」
「え……」
絶句する貴之の眼を覗きこみながら、友人の顔をした誰かは愉しげに言った。
「男に犯されるのって、どんな気分? 普段澄ましてるくせに、女みたいな声でひいひい泣くわけ? 人の精液ってうまいの? 尻に突っこまれっていっちゃうの? なあ、どうなんだよ」
「いきなり、何言って」
「あ、兄貴に聞いたわけじゃないぜ。気づいてない? お前、すげえにおいするんだよ。生ゴミが腐ってるみたいな」
間近にある顔に嘔吐しそうになって、勢いよく立ちあがった。あれだけたくさんの生徒が同じ空間で騒いでいたはずなのに、そこにはもう誰の姿もない。椅子と床がぶつかる固い音だけが空しく響いた。
教室の形をしていたものが、人の形をしていたものが、砂のように崩れ落ちて跡形もなく消えた。
ひとりなった。
残ったのは、記憶、というより記録だけだった。
記憶とは人間の生理に付随する言葉だ。だが貴之はあのとき、人間と呼べる存在ではなかった。
仕事で身体を重ねるとき、嫌悪と情欲が入り混じった男たちの顔を下から眺めて、彼らにとって自分は人間ではないのだと思うことがあった。
だが、今ではそれが大きな間違いであったことがわかる。
背骨が軋むのもお構いなしに無理な格好で手荒く揺さぶられても、挿入される側の苦痛を完全に無視した強引な抜き差しをされても、一応はまだ人間として扱われていたのだ。
廃墟に連れてこられたとき、はじめは思い違いをしていた。
相手と自分とは対等の存在だと思っていた。
だから言葉を使った。
わざと挑発して隙を誘おうともしたし、甘い声音で惑わせてこちらの立場をなるべく優位に置こうともした。
何をしても無駄なのだと知りもしないで。
どれほど大声を張り上げたところで、自分の発する音は、男たちに言葉と認識されていないようだった。
喚いても、諭しても、返ってくるのは暴力だけだった。
痛い、痛いと叫んで泣きじゃくっても、爆笑されて余計になぶられるだけだった。
自分の一生を本にたとえるならば、原型も止めないほどに踏みにじられて、破かれて、一瞬で意味のない紙屑になった。
男たちは様々な趣向を凝らして肉体と精神を責め苛んで、粉々に打ち砕いていった。人格も、記憶も、感情も、名前すらも、これまで積み上げてきたあらゆるものが、畜生風情には必要ないと思い知らせるために。
押さえつけられた頭の上から、無邪気な声が降ってきた。
お前は人ではない。欲望を満たすためだけにある、汚らしい肉の塊だ。
スーパーで並べられている生肉にかつて名前があったかどうかなんて、いちいち気にする奴はほとんどいない。皆何も考えずに食う。それと同じだった。
朝目覚めて、顔を洗って朝食をとる。
満員電車にもみくちゃにされながら登校して、授業を受けて、昼飯を食べて、欠伸を押し殺しつつまた授業。
帰宅して夕飯を食べて、風呂に入って寝る。
馬鹿馬鹿しい出来事が絶えず繰り返えされる味気ない日々。ぎりぎりのところで電車に間に合わなくて悔しい思いをする。嫌な授業が自習になったと友人たちと喜ぶ。満員電車の鬱々とした熱気、埃っぽくて男くさい教室のにおい。
当たり前のように日常に寄り添っていた下らなくも温かいものたちが、一気に消え去った。純粋な暴力の前ではすべてが無意味で無価値なのだと思い知らされた。
人間らしいものが次々にはぎ取られていって、自分がどんどん小さくなっていった。
最後には、本能の奴隷になった。
唾液まじりの喘ぎの合間に息ができるとき。
時おり唇に含ませられた水が、激しい喉の乾きを癒してくれるとき。
ただそれだけのことで、狂おしいほどの喜びが全身を走り抜けた。
餌にがっつく豚みたいだと笑われた。
やがて、豚みたいな喜びにすら無関心になった。
意味のない人生だった。人間らしいものをすべて奪われて、道ばたに投げ捨てられたゴミのように死んでいくだけの短い一生。
それでも、自分がまだ人であると信じたくて、誰かに言葉が届くと願って、請わずにはいられなかった。
「許して」
媚びるような、嫌らしい声だった。
伸ばした手が何かを掴むことはなかった。掴む以前に、伸ばせるはずがなかった。終始後ろ手で縛られるか、あるいは暴れないように羽交い締めにされていたのだから。
そのうち、死なないでいるのにも疲れてしまった。
疲れて、疲れて、諦めて、虚しく宙をさまよっていた指をおろしたかけたとき、名前を呼ばれた。
返事もないのに、何度も何度もしつこく繰り返してくる。
貴之は落胆した。
やっと楽になれるところだったのに、どうしてあいつは余計な真似をするんだろう。死ぬのに名前なんていらない。それなのに、余計な真似を……。
「助けて」
自分の叫びで思考が停止した。
「……助けてよ」
たまらなくなって、すがりついた。
また静かに名前を呼ばれた。
涙が止まらなかった。
夜更け、ふと目が覚めた。
視界いっぱいに、澄んだ静かな闇が満ちていた。
仰向けになったまま目を凝らせば、見慣れた白い天井が頭上にうっすらと浮かんでいるのがわかる。
未だ夢半ばといった眼差しが、己を取り巻く現実の輪郭をたどっていった。
日差しのにおいがする清潔な部屋着に包まれて、自分の部屋の、自分のベッドに横になっている。
何百と繰り返してきた同じ夜。薄闇に広がる穏やかな静寂。
その快さを味わった次の瞬間、急に寒気に襲われた。歯がうまく噛みあわずにがちがちと鳴って、震えが止まらなくなった。
寒い。恐い。闇に食われる。夜に、殺される。
全身に刻まれた傷から、穴という穴から、今も汚れた血と体液が流れ続けているような気がする。少しでも身体を温めたくて毛布を手繰り寄せようとしたとき、胸のすぐ横で控え目な寝息が聞こえることに気がついた。
頭をベッドの縁に持たせけた格好で夜陰に眠るその人は、貴之の手を痛いほどしっかりと握っていた。
規則正しい寝息を聞いていると、いつの間にか寒気は収まっていた。
そっと手を握り返す。母だろうか。
母にしては手が大きくて指が太いし、力もずいぶん強いような気がする。
ぼんやりと漂う意識が、少しずつ眠気に浸食されていく。
どうしてあんなに恐ろしいと思ったのだろう。
ここは自分の家で、恐いことなど何もないのに。
絡め取った指先から心地よいぬくもりが伝わってきて、瞼が自然に落ちていった。
笑いながらばらばらに千切られた紙切れを、風に舞い散るそれを、優しい指先がひとつひとつ拾い上げる。引き裂かれた思い出の欠片を、砕け散った心の破片を集めて、やがて不恰好ではあるけれど、また一冊の本が出来上がっていった。
そんな飴玉のように甘ったるい夢想に浸るうちに、再び深い眠りについていた。